新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

もののけ姫

アシタカ「獅子神は生と死を合わせ持っているんだ」





文系の皆様、ノルウェイの森に同じような言葉があったような気がしませんか?





今日、金曜ロードショーもののけ姫を見た。

映画館で初めて見た時はまだ小学校低学年で(『生きろ』っていうポスターが、神戸三宮のジュンク堂にでっかく貼られてたのが目に焼き付いてる)ただただ必死で戦う人々やもののけに圧倒されるだけだったけど年齢を重ねつつ何度か見るうちに少しずつ感想も変わってきたり。





人間が足を踏み入れてはならない聖域に住み、自然界の生と死を司る獅子神。しかし、鉄砲という文明の力を過信したあまり、いつかは尽きる命までをも克服しようと、不老不死の力があるという獅子神の首を狙う人間達。

そして人間が決してかなわない自然の恐ろしさを見せ付けられるが、触れてはならない物に触れ、死の呪いをかけられた少年と、自然を母とする少女のおかげで、荒野と化した地に再び生命が芽生える。





修学旅行で屋久島の森を歩いた後(もののけ姫の森は、屋久島がモデル。今回激しく納得)にこの映画を見ると、今まで違う感覚を覚えた。おそらく人間の支配など遠く及ばぬ、あまりに大きく神々しい自然の姿を目の当たりにしたからだと思う。そこを歩き、または生きるには常に危険が付き纏う。一歩踏み間違えば死。しかし決して雄大な自然は故意に旅人の命を奪おうとはしない。屋久島に限らない。今年の台風による洪水に見るようにあるときは美しい沢で、あるときは濁流となる。自然はあくまで気まぐれで、人間ははかない存在なのだ。





そんな自然の力を、人間の知を遥かに超えたもの(神であったりもののけであったり)ととらえ、敬い、共存してきたのが古代の人間だったし、日本人は今もその心を深層に供えていると僕は思う。





しかし、人間に克服できないものはないと掲げたルネサンス時代以後、正しく人間が使いこなせないほどのスピードで発達した西洋文明は心をも作り替え、人間は自らを万物の霊長と唱え地球最強の生命体となり、自然を食いつぶしながら快適な生活を続けている。

しかし自然の気まぐれは獅子神がたたら製鉄を一瞬で灰燼に変えたように、人間の思いもよらない力であっという間に日常を奪う。今回の新潟の地震然り、台風然り。







もしかしたら人間はもう獅子神の首をもいでしまったのかもしれない。獅子神によって全ての人間に死が与えられる前に首をどうやって帰すか、それは若い僕らの手にかかっている…ということだろうか。