新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

いつかどこかでみたような



文章だと思っても敢えて突っ込まないでちょ。





一人の人間の自意識の構成には、他者の存在が不可欠である。他人から感じ取れる情報により、人は自分の存在を認識し、自分の周りの世界観を広げることができる。要するに僕の知り合いの人の中には、その人が捕らえた僕の姿があって、そんな風にして僕は何百人もの中に生きているのだろう。さすが「人」「間」というだけある。



しかし、人が身につけられる世界観はとても偏狭なもので、たとえば「晴れの日は気分よく、雨の日は憂鬱」という情報を周囲から取り入れ続ければそれはそのまま固定観念にすりかわり頭の中を支配する。

雨の日にもいいことは起こるのに。



結局のところ、誰のところにいる僕が本当の僕かなんてわからない。母親の中にいる僕も、父親の中にいる僕も、友達の中にいる僕も、みんな違う顔を持っているはずだから。まあ、せいぜい人が自分自身にでき得ることは自分の可能性を認めることだろう。

他人から見た自分、自分が考える自分にも、皆違う姿があるとするならば、それはきっとそれぞれが、考えうるの一つの姿だから、そんなに気負うこともないのかもしれない。



このブログも、あくまで僕という世界観が生み出した一つのケースにすぎないが、僕が生きている証の一つであることはたしかだ。

駄目な僕もたまに変態な僕も興奮している僕も全部ひっくるめて僕である。と同時にマジメにふるまう僕も女の子に気さくに話しかけられるようになっている僕も僕の一つの可能性なのだろうか?



頭こんがらがった。