新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

クリスマスと月

さて、今夜は腰振る性夜。今頃世のカップルは神の御名のもとにまぐわいまくっているのだろうか。



さて、今日はクリスマスなので、朝バイトしたあとアキバにいってきた。これは僕の中では順接扱い。



歩行者天国にサンタコスの人がうようよしてた。セクシー衣装だったり楽器持ってたり鮭持ってポーズとったりしてた。もはやカオスww

あとは「クリスマスにカップルでいちゃいちゃするのは間違った人々だ。我ら日本人は正しい冬を送る!冬の漢祭!」とかいう弱冠ずれたイベントがやってたりなかなか楽しめた。AKB48のイベントに200メートルくらいの列ができていてびっくりした。ガチャガチャの運が悪くてどれも2〜3回目でダブった。

弱冠萎えたので自分へのクリスマスプレゼントに00のガンダムキュリオスガンプラを買った。



そのあとは妹と母にプレゼントを買って・・・



夜はそふぃあのクリスマスミサに行った!

最初は新聞の取材で行くつもりだったけど、結果的に自主的に参加してきた。

いやあなんかもう





聖歌隊や、カトリック学生の会の男はなんかみんな朴訥で、「深い河」の大津を思い出した。

聖書が読まれて(洗礼を受けてる人が多いらしくて、みんなしっかりはきはきと読むもので、正直焦った)、講堂の明かりが消されて参加者に配られた何百のろうそくが灯った光景はなかなか荘厳で、宗教儀式の空気を感じた(ちなみにこの時僕はろうそくの溶けたろうを手に垂らしてしまい、低温やけどのような熱さを感じながらも、ろうを垂らされる男の気持ちを少し理解してしまった。そう、それはシンパシー)



その後に司祭が語り始めた

「このイエスキリストの誕生日を祝うためここに集まってくださったみなさんも、この一年間辛いことや悲しいことがあったと思いますが、それらを振り返って・・・」

この時真っ先に思い出したのは亡くなったバチコンのことだった。そしてその後、ついこの前亡くなった粕谷教授のことも思い出した。教授は神父だったとか。ということは健康であればこのミサにも参加していたのだろうか・・・とか柄にもなくしんみりとしてしまった。



そして聖書の朗読、聖体拝領などがあり(僕は洗礼を受けていない一般人なので、祝福をしてもらった。頭をぽんぽんとたたかれて祝福を受けたww)聖歌隊が斉唱してミサは終わった。僕は信仰はないと思うが、静かに今年一年に思いをめぐらせるなかなかない機会になったので、こんなクリスマスもアリかな・・・とDTなりに思った



ミサが終わりメインストリートを歩いていると、7号館の校舎の窓に、十字型に明かりが点灯して、聞いてはいたもののえもいわれぬ気分になって、総武線に揺られる。



せっかくなので部屋で飲もうと、コンビニで酒を買い、自転車を漕ぎながらふと空を見ると、見事な月が出ていた。



なぜかぽつりと涙が湧いた。この陰の世界を照らす白く優しい明かりは人の心をこうまでもよじるものなのか。

そういえば、死んだバチコンはもうこの月を見ていない。でも月は気の遠くなるような年月を経て地球を見守ってきたし、これからも見守り続ける。そのスケールの偉大さを感じるだけで、今夜はなぜか心が震えた。当たり前のことなのにね。

もっと強い自分になろう、自分の直感を神と信じるくらいのつもりで生きてやろうと時に傲慢に思う自分も、世界の大きさにはただただ膝を折るばかり。宇宙ヤバイ。マジヤバイ。



20のクリスマス、自分の中ではそれなりに納得して過ごしたつもり。