新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

ガンダムUCに見るニュータイプ論

ニュータイプ」という言葉がある。ガンダムに造詣のある方ならなじみ深いと思われるこの言葉について最近考えることが多い。



劇中の未来では、増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって時間が流れ、人類は地球にしがみつくアースノイドと、過酷な環境にある宇宙を生活の場とするスペースノイドに大きく分かれることになっている。アースノイドは地球から宇宙を支配し、スペースノイドを搾取し続けていた。

そんな中、スペースノイドの自治を訴えた政治家、ジオン・ズム・ダイクンが提唱したのが「ニュータイプ」という概念だ。



四方を漆黒に包まれる広大な宇宙空間で人間はその認識能力、洞察能力を拡大させざるを得なかった。しかしそのことは人類に進化新たな可能性を与え、ニュータイプへと覚醒が起きた。

ニュータイプはあるがままの姿を見ることで、そのものの本質を捉える能力に優れているといわれ、憎しみや歪みに満ちた世界に生きる人々(オールドタイプ)を誤解なき世界へと導く存在と言われる。



しかし劇中では、ニュータイプが人を混沌から救うことはなかった。体制という巨大な力の中ではニュータイプはその空間把握能力を生かした兵士としてしか扱われることがなく、殺し合いの道具として使われる彼らはその繊細な感性を戦いの中で磨耗させていく・・・。



彼らはあまりに純粋な「正論」でありすぎた。正しさだけが世界の、特に苦しみや絶望に生きる人々を救うとは言い切れない。

「争いから救う」と意識している側の世界の人間と「争いの渦中にいる人間」では正義の基準が根本的に異なるのだから。テロリストも国連軍の兵士も正義の名の下に戦う。





人間ほど、実体のないものにすがる生き物もいないという。

光、希望がなくては人は生きていけない。世界で絶望や不条理、不幸に遭遇すればするほど、人はそれでもまだ改善の余地があると信じさせてくれる光を必要とする。その改善の余地、理想が具現化したものが神であり、人間がすがるものなのだろう。

そんな神だからこそ、人は自らの神の唱える正義や価値観を唯一として硬直させ、

分かり合う可能性を殺し、狭い固定観念に陥っていく。自らの望む可能性が他人の可能性を殺す・・・これが誤解であり、争い、歪みの源だ。皮肉にも、理想を描く力が結果的に全体の歪み、不条理、誤解を生んでいるのだ。このようにねじれた世界から人は脱することができていない。これは劇中でも現実でも酷似した状況であると考えられる。



それでも、感じ、共感し、考え描き出す能力をより進化させれば、人は分かり合える、皆ニュータイプとして手を取り合える、そんな世界はフィクションに過ぎないかもしれない。事実そのフィクションの中でも夢物語、伝説扱いの存在がニュータイプなのだ。それでも最新作『機動戦士ガンダムUC』の作中で福井晴敏は希望をにじませる。



「大抵の動物が生まれながらに五感を持ち合わせている。そして人間だけが五感では感じ取れないものを考え、描く能力を持っている。今現在を超えるなにかを・・・。それは人の願望が作り出した錯覚かもしれないし、理想という名の神に過ぎないものかもしれない。しかしその存在を信じ、世界に働きかけることができるなら、それが世界を変えることだってある。人間だけが神を持つ。理想を描き、理想に近づくために使われる偉大な力、可能性という名の内なる神を」



こんな言葉を見ると夢を見ずにはいられない。

しかし実際のところ、隣の国とさえ分かり合えないこの世界はもはや本当に行き詰ったものなのか、それともニュータイプという可能性は存在しうるのか。

世界は共感と対話の時代にはけっしてならないのだろうか。