新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

Fate/stay night  奈須きのこの世界



クラナドは人生、フェイトは文学。これはいささか言いすぎと思うけど、この作品が傑作であるというのは自信を持っていえることなので、作品紹介、レビューをやってみたいと思う。正直ネット上に、ピンからキリまでいくらでも批評文は溢れているのだけれど、それでもやってみたいと思ってしまうのが性なのですね。体は文でできている。







そしてこの記事は今まで書いたブログでも最長のものになる可能性があるので、「あまり、興味がないかな」と思った方は遠慮なく「戻る」ボタンをクリックしてください。

文章を書くのが下手故に意図せずネタバレすると思うけど、あしからず。











・・・映画、小説、漫画、ゲーム、どのような物語にも言えることだが、よいものであるほど一度の体験で全てを理解することは難しい。いや、ほぼ無いと言っていいかもしれない。一度目の体験で人はその世界を知ることができる。そしてそれに夢中になればなるほど、その世界にのめりこむ。とりあえず





「すげー、やべえ、宇宙ヤバイ





の段階である。しかし、どのような作品にもコンセプト、テーマ、要するに作者の一番伝えたいポイントが存在する。そのポイントが本質的なものであればあるほど、その作品は再読に耐えうるものであることが多い。

この作品は3つのシナリオ(視点)を利用した全く違った可能性を提示することにより、物語のより深い理解を可能にしてくれている、という点、特にどのシナリオからクリアできるわけではなく、攻略順が決まっているところがミソである。

これにより一つの作品がより深いものになり、結果として圧倒的な面白さを支えているのだ。前置きが長くなった。本編を紹介させてもらおう。







Fate/stay nightは18禁伝奇アドベンチャーゲーム。  

日本のとある地方都市「冬木市」に数十年に一度現れるとされる、持ち主のあらゆる願いを叶える「聖杯」。

7人の魔術師(マスター)は7騎の使い魔(サーヴァント)と契約し、聖杯を巡る戦争に臨む。聖杯を手にできるのはただ一組、ゆえに彼らは最後の一組となるまで互いに殺し合う。

魔術を習うもその才能を見いだせず、半人前の魔術師として生きていた主人公・衛宮士郎。彼は偶然にもサーヴァントの一人・セイバーと契約したことから、聖杯戦争に巻き込まれてゆく……。(ウィキより)





このウィキの概略では全く伝わってこないが(ウィキで伝わったらネタバレでもあるか)この作品がなぜ面白いのか、なぜ売れたのか、まずはそういった要素から見ていこうと思う。





物語の魅力その1・緻密に書き込まれた舞台・・・世界観の構築、登場人物の人生の軌跡が細かくしっかりと文章の内部に反映されている点。

この点を好きになってしまうか、それともクドいと感じるか。奈須きのこの作品が独特と評される所以でもあるが、豊富な語彙力を有し、細かい設定も大きな矛盾無く作りこむ作者の情熱を感じたのは確か。

幕間としてスペースをとり、上手くエピソードを織り込んでいるため、僕の場合は読むのが全く苦にならず、むしろ引き込まれた。

特に7騎のサーヴァントはセイバー(剣の騎士)・アーチャー(弓の騎士)・ランサー(槍の騎士)・ライダー(騎乗兵)・キャスター(魔術師)・バーサーカー(狂戦士)・アサシン(暗殺者)のクラスに分けられた歴史上、伝説上の英雄で、それぞれが自分の人生で為し得なかった願いを叶えるために召還に応じる。

具体的に言えばアーサー王佐々木小次郎ヘラクレスメデューサ等。彼らの生きていた世界の史実、伝説も端的ながら示され、本編の流れにあわせて楽しむことができる。

結果、どの登場人物の個性も非常に引き立ち、通常ほとんどが女性を占める人気投票上位にも男性が多く食い込むというギャルゲーにしては異様とも言える様相を呈している。





物語の魅力その2・熱いバトル・・・原作が18禁ゲームでバトルが一番の魅力、というのがまた変わったところだが、まあ「だがそれがいい」と言わせてもらおう。

このゲームにアニメーションがついているのはOPだけで、イベントはほとんど一枚絵の垂れ流し。それでもバトルが魅力的に感じるというのは、ただ秀逸な表現力とBGM,エフェクトの豊富さが為せる業だろう。

さらにそれぞれが人間離れした伝説上の能力を駆使してぶつかり合うサーヴァント同士のバトルには、彼らの生き様も同時に交錯して非常に心が躍った。

このゲームは萌えゲーではない。燃えゲーである。



ちなみに戦闘中に選択肢を誤れば、主人公には不条理でグロテスクな死が与えられる。その数40回。しかしバッドエンドにはあるオマケがあるのでこれもまた乙といったところ。





物語の魅力その3・シナリオの巧みさ・・・聖杯戦争は15日にわたり、主に夜に戦闘が行われる。全体をわたって、穏やかな日常が流れる昼と激しい夜のコントラスト、またその日常がクライマックスに向かって変化していく様子は、プレーヤーを一人の参加者として取り込んでいく。







と、ここまでが作品の世界、言うならば殻の部分の魅力だ。はっきり言って殻だけでも十分に楽しめるレベルなのだが、やはり中身、テーマが伴ってこその名作。ここからは核心部分について勝手にその魅力を記述していこうと思う。

むしろここからは一回プレイした人のほうがより共感してもらえる、かもしれない。





この作品のテーマ・・・「正義の味方」という歪んだ願望への救済





主人公である衛宮士郎は、前回の聖杯戦争により家族と周辺の住民を全て焼き殺される中焼け跡をさまよい、死にかけたところを衛宮切嗣という男に拾われてただ一人生き残るという過去を持っている。

この「誰一人救うことができなかった」というトラウマを克服するために彼は、自分を救った切嗣のような「すべての他人のために生きる正義の味方」を目指し、彼の養子として生きるようになる。

切嗣は「正義の味方は、自分が救うと決めた人しか救えない」という言葉を残して死んでいくが、それでも士郎は切嗣の在り方を目指す、とスタンスを変えずに育った。





自分を捨て、自分以外の全てを救うために生きるという行為は、一見美しい献身のように見える。しかし、これは実は非常に危うい、歪んだ状態である。自分を一番大事にする、という前提があった上で、それでも選んだ他人を優先させるというのならばそれは立派だ。



でも自分がないままに、全てを助ける世界を夢見る行為というのは、どのようなものになるか?



それは自分が大事、その自分を中心とした愛する人が大事という、優先順位による秩序付けを失った、個人の気持ちが失われた世界に繋がる。



人間を人間たらしめているのは感情、欲望という存在だ。しかし、人間にはその欲望を、他人のことを考えた上で順序立てて自制する能力がある。その自制において価値の順序をつけることがない状態というのは、何もない空虚な状態なのである。



感情を否定し身近に愛するものの順序を置けない、例えば世界全てを救う、とかいう大局しか見えない人物は時に極端な偉業を成し遂げるという。

それはある時は世界的な宗教の教祖になるかもしれないし、ヒトラーのような強権な独裁政権を作り上げるかもしれない、信長のように急激な変革によって乱世を終局に導くのかもしれない。

大局しか見えない人間はそれだけの危うさを秘めた特殊な存在なのである。







無力ながらも、それでもそんな生き方を頑なに続ける士郎は、作品中でどのように救済されるのか??





冒頭に書いたとおり、この作品は3人にヒロインを基調としたルートにより、一見並行した3つの可能性を提示しつつも、その全てを読むことで本当の救いを理解できるようになっている。

そのヒロイン別に士郎に当てられる救いの可能性を見てみよう。



と思ったが、あまりに長くなったので、ヒロイン別にルート感想を分けていきたいと思う。ホント自己満で矛盾も見受けられると思うけども、ここまで長い文章を読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。