1:セイバールート「Fate」ボーイ・ミーツ・ガール
前回に続いてフェイトレビュー。今回はセイバールート。ちなみに堂々のネタバレです
「セイバー」とググれば山ほど出てくる、剣士の姿をした女の子の画像がそれである。士郎によって偶然召還される剣士のサーヴァント、セイバー。その正体はブリテンの英雄、アーサー王である。
アーサー王物語には諸説あるが、この作品中では一風変わった物語に改変されている。
蛮族からの侵攻により窮地に陥った国を救うための王、と魔術師に予言されて生まれた王子。しかし生まれるはずの王子は女の子だった。彼女は生まれると同時に王室からは遠ざけられて育つ。
数年後、魔術師は王を選定するために騎士たちに岩に刺さった剣を抜かせる。本当にこの剣を抜けた者が、王にふさわしい、と。しかし誰にも剣は抜けず、騎士たちは勝手に剣術で王を決め始めた。
一方で誰もいなくなった岩の前に少女が現れる。少女は自分の国が窮地に陥っており、やがて失われようとしていることを知っていた。なにより国を救いたかった。岩の傍らに座った魔術師は
「お前はこの剣を抜き、国を救うことができる。しかしこの剣を抜いたときから君は人間であることを捨てなくてはならないだろう」
と少女に告げ、仮に少女が剣を抜いた時、辿るであろう結末を見せた。
それを見た上で彼女は剣を抜く。人としての感情も生も幸せも全て捨てて王になると誓って。
その時から彼女は騎士王アーサーとしての道を歩み始める。聖剣エクスカリバーによる最強の武勇を誇る彼女は、蛮族からの侵攻に対するときは常に最前線に立ち敵を討った。
戦いが終われば、次の戦いに備え、小さな村が干上がるほどの厳しい税を徴収し軍備を整えた。そして再び戦いに赴いた。
彼女の率いる軍は連戦連勝。領土は守られ、散ろうとしていた国は一つに統一されることとなった。
堂々なる覇を見せつけて国を統一に導いた王。しかし騎士たちの中には不安を抱える者もいた。国を守るのはわかる。たしかに王は強い。しかし王の支配からは人の感情が感じられない、と。
上に立つものは時に大局的に見て何かを省かなくてはならない。その一存は決して彼女の感情が決めるものではなく、状況が決めるものだった。上に立つ者には個人としての存在より役割としての存在が求められる。もとより個人としての存在を捨てて王になる、と魔術師に誓った彼女にとって、国を救うためならば、局地的な哀れみや孤独という感情もとうに捨てたものだった。
やがて不満は募り反乱が起きることとなり、王は聖剣エクスカリバーの鞘を失い、自らの軍勢と戦い続けた末負傷する。
死に際に森の中で樹にもたれかかり、夢見心地で、彼女はふと願う。
「私のしてきたことは本当に正しかったのか。王として間違っていたのではなかったか。できるものなら遡って違う者を王に選定したい・・・」
と。
そんな願いを宿した英雄として、彼女は聖杯戦争に参加する。人智を超えた聖杯の力を使って自らを否定し、違った結末を作ろうとしているのである。
彼女と士郎には似た点がある。
彼女は自分を犠牲にして、国を救うという仕事を全うした。一方で士郎は自分を救ってくれた世界を、今度は逆に救いたいと無力ながらに足掻いている。
二人の間の相違点は、彼女はもう成し遂げた後であり、士郎はまだ何もしていない、という点だ。(歪んだまま生き続けた士郎にはある結末があるのだが・・・それはまた凛ルートで)
聖杯戦争に偶然参加することになった士郎は、セイバーを自分の使い魔としてではなく、一人の女の子として扱い続け、次第に愛するようになった。
やがて士郎は、セイバーには女の子らしい幸せを願う存在であってほしい、と願うようになり、セイバーに「俺はお前が好きだ、だからそばにいてほしい」と告白する。
しかし、セイバーはそれを頑なに拒否する。もとより自分の全てを捨てて剣を抜いた彼女がそれを受け入れることはなかったのだ。その時点までの文脈を読めば明らかにセイバーは士郎が好きなのにも関わらず。
やがてマスターである士郎には、サーヴァントであるセイバーの思考が流れ込み、夜になるとセイバーの悔いている過去を知ることになる。
そこで士郎は、セイバーがすべきことは、自分の成し遂げたことを後悔することではなく、認めることではないかと考え始める。
つまり、本当にセイバーの幸せを願うならば、自分の誇りを持ち続けて戦いぬいた人生に納得してもらうのが大切なことだ、と考えるようになるのだ。
初めて意識する異性を前にした時、士郎の中に自分より重視する存在が生まれ、まず「女の子は幸せになるべき」という自分の視点から彼女の幸せを願い告白した。しかしこの段階で彼はセイバーの視点から彼女の幸せを願うようになる。
物語の後半の戦闘中、士郎は「聖杯の力を使って、幼少時に死んだ人を蘇らせれば、お前は救われるのではないか」と誘惑される。
しかし士郎は考え抜いた末、その誘惑を拒否する。
もしその時点で人を蘇らせれば、どんなに自分は正義の味方という願望を果たすことができても、本来ある理を変えてしまう。それは甘え、逃げだからだ。
わがままな子供が「こんなゲーム最初から無かったんだよ!」と言ってゲーム盤を引っくり返してしまうようなものである。
それを目前にしたセイバーは、それまでの聖杯に対する願いを捨てる。セイバーを知った士郎と同様に、彼女もまた士郎の気持ちを知っていただけに、彼の決意の強さと、自分が王の選定のやり直しによって歴史を変えようとしていた事実が、士郎に迫られた決断に酷似していたことに気づいたからだ。
セイバールートの15日目/黄金の別離 で最後の戦いが終わり、消えようとする彼女は最後に士郎にこう言い残す。
「シロウ――――貴方を、愛している」
個人としての自分の気持ちを解放できた彼女は、その時点で過去の自分を肯定し、死に際の夢を見ていた自分に帰っていく。
そしてその時代で、安らかな眠りに付くことになるのだ。なぜなら、「過去の自分をやり直したい」という気持ちが彼女を聖杯戦争に参加させるために現界させていたからである。
士郎の願う通り、彼女が過去の自分を肯定するならば、彼女が今にとどまる理由もなくなる。
士郎もまたセイバーという、本当に愛する存在を思い、彼女が自分を認められるように願うことによって自分の歪みから脱することが出来る。
しかしそのことを知ったときには、もうセイバーは消えてしまうのだ。
たとえそれが別れを意味するとしても、本当に誰かを思うならば、その人が自分のあるべき生を全うできる形を選ぶべきなのかもしれない、という一つの仮定が、このルートには込められているように思う。
ここに、自分が本当に大切に思う誰かへの気持ちに目覚めた少年の物語が一つ完結する。
ちなみにこのセイバールートは作品のメインルートで、アニメもこのルートを基調として製作された。
実際士郎とセイバー、似て非なる二人がぶつかりながらも理解を深めていく構図は非常に明確でわかりやすく、シナリオとしては非常に素晴らしく美しいものだ、と感じた。
だが、この作品で本当にアツいのは次の凛ルートでなのある。
クドく、まだ続きますwww