2:凛ルート「Unlimided Blade Works」体は剣で出来ている
凛ルート、ネタバレ。
めでたしめでたしと思いきやまだ続く。
次は遠坂凛ルート、というよりアーチャールートである。
士郎の同級生である名門魔術師、遠坂凛が召還した、赤い外套を纏った弓兵、アーチャーのサーヴァント。
その正体は、自分の信念を貫き通して散った場合の、未来の衛宮士郎自身、英霊エミヤである。
このルートは、セイバールートで明かされることの無かったアーチャーの正体と、その願いが明らかになる。またそれと同時に、今の歪んだ信念を貫いた場合の士郎が、道の行く末を知りながらも、なおそれを辿る決意が描かれる。
そもそも彼の力量は、本来英雄としてあるべき、神に限りなく近い魔力や武勇には程遠いものだった。
魔術師である養父の切嗣に拾われたのもただの偶然。本来魔術師の家系でもない彼が現代において英雄に近い活躍などできようもなかった。
それでも彼に可能な唯一の魔術、投影を限界まで鍛え、その他の人生全ても賭けた。
またそれでも足りぬ力を補うため、多くの人を救う奇跡を起こす、という契約を世界と交わすことによって、英雄としての存在に近づいた。
つまり自分以外の全ての他人、世界を救うために戦い抜いて、英雄にたどり着いた場合の未来が、アーチャーなのだ。
彼はいわば今の士郎の理想の果て、とも言える人物である。
しかし、凛ルートの途中で明らかになる、アーチャーの聖杯戦争への参加理由は、過去の自分、つまり士郎を殺すことであった。
なぜ彼は理想通りの正義の味方になったにも関わらず、後悔することとなったのか?
誰かの救いの声に応え、何度でも戦ったアーチャー。
しかし何を救おうと、救われない人間はでてきてしまう。誰かを救いたいという理想と、救われない人間はどうしても出て来るという現実。
その矛盾とぶつかった時、アーチャーは視野を広げた。一人を救い、次は十人、次は百人、千人。より多くの人が救われるために、アーチャーはその代償として人を殺し、絶望を与えた。自分の助けようとした人間しか救わず、敵対してしまった者は速やかに倒すようになったのだ。
結局彼は理想に反しつつ、理想と叶えようとする壊れた存在でしかなくなってしまった。
この状態は、セイバーの過去に極めて類似している。そしてセイバーもアーチャーも、共にそこに後悔を感じている。
結局彼は、救った人間に裏切られ、戦いを収めたはずが、戦いの元凶として処刑され、最期を迎えることとなる。だがしかし彼は他人を恨まなかった。自分が至らなかったのだ、と。そう信じたかった。
彼は死後、凡人が奇跡を起こすために世界と契約した代償として、人間という種を守るために存在すると呼ばれる守護霊となり、より強い力を身につけた。
生前成し遂げることのできなかった理想を、彼は未だ諦めていなかったのだ。
しかし実際のところ、彼ら守護霊は、人類の自滅が起きる可能性のある時代の現場に現界し、そこにいるすべての人間の殺戮をもってそれを阻止する、という役目のために、強制的に召還される存在だった。
そして彼は様々な時代で、殺戮、平等、幸福という、人の歴史で何度も繰り返されてきた事実を見せ付け続けられた。
強い力があればより大きな理想が叶うと思った彼こそが過ちであり、結果彼は絶望と、かつて愛した他人への憎しみを味わうこととなるのだった。いつの時代も人間は、強者が弱者を貪り、繁栄する存在だった。
理想だけで正義の味方になった彼の願いは、結局ただの一度も叶わなかったのである。
そんな彼は守護霊となった以上、ただ一つの例外を除きその役割から抜け出せない。それこそが自分による過去の自分の抹殺だった。
14日目、崩れかけた古城でアーチャーは士郎と対峙して、自分の全てを語る。自分の辿る結末をまざまざと見せ付けられる士郎。
しかし士郎にはただ一つ納得できない部分があった。それは、アーチャーが後悔している、という点。
士郎も、すでにその理想を描くために多くのものを失ってきたことは自覚していた。
ただそれでも、自分の信念に基づいた行動に対して後悔することは決してなかった。
士郎はアーチャーを否定する。
「アーチャー、お前、後悔してるのか?なら、お前は別人だ。これから何があろうと、俺は後悔することはない」
交わされる無数の剣戟。互いに同じ投影魔術で生み出す双剣をぶつけ合いながらも、その戦いは士郎の理想であるアーチャーに遥かに分があった。
そしてぶつけ合う剣を通じて、士郎にアーチャーの記憶の断片が流れ込む。
処刑台で無数の剣に串刺される自分、自分の理想が結果的に生む数々の惨劇、守護霊としての自分が見ることになる人間の業。
徐々に指が食い込むほどの切り傷を負い、吐血しながら、それでも士郎はアーチャーを否定し続ける。
士郎の意識が朦朧とする中、止めを刺そうとするアーチャーは士郎に尋ねる。
「お前のその理想は、本当にお前のものなのか?」
アーチャーは問い詰める。
士郎のその理想は、業火の中を切嗣に助けられたとき、ただそうなりたいと憧れたときに生まれたものではないのかと。
切嗣さえも「正義の味方は全てを救えない」と諦めていたその理想を、ただ真似しようとしただけなのではないかと。士郎の理想は単なる借り物ではないのかと。
消えようとする士郎の意識。説き伏せられた心はその歪さ故に瓦解し、矛盾に食い殺されるのは目に見えていた。
それは事実だった。ただ納得できなかった、それでも、未来の自分に否定される、今の自分の信念の起源に、簡単に首を振ることはできなかった。
骨が浮き出しながらも、体は、まだ戦える、と抵抗する。呼吸が止まりそうになりながらも、心は、負けない、と叫び続ける。もはや士郎の敵は目前のアーチャーではなかった。
今まで信じてきた、そしてこれからも信じていく理想のために、士郎はその重みに挫けそうになる自分自身を切り刻もうとしていた。
「・・・間違い、なんかじゃない・・・!決して・・・間違いなんかじゃないんだから!」
未来の自分自身に呪われようと、世界に裏切れ続けようと、偽善の塊であろうと。その願いを「美しい」と感じた。
その気持ちだけは決して間違いとは認めないと、その一心で士郎は剣を突き出した。その一撃を最後、体は地に伏すと知りながら。
士郎はアーチャーの胸を貫いた。
アーチャーにとって、少年の凡庸な一撃をかわすのは容易なことだった。しかしその前に、赤い騎士は反問を続けていた。
「何を美しいと感じ、何を尊いと感じたのか」
ただそう声を上げながら、自分自身と戦う過去の自分は確かに憎かった。だが、そんな自分から目を背けられなかった。それはなぜか?
偽りも、その結果さえも振り切って、信じた美しさのために剣を振るった自分は、決して「間違った存在」ではなかったのだと。客観的に見て気づいてしまったからだった。
その刹那、アーチャーは士郎に胸を貫かれる。
セイバーが過去の自分を肯定したのと同じように、アーチャー自身も過去の自分を
肯定した時、彼の復讐の理由は無くなったのだ。
このルートで士郎が出会う未来の自分は、全てを経験した未来の理想の自分である。
彼は未来の自分を見せ付けられ、なおも殺されそうになるという憂き目を見るのである。
そして自分の秘めた歪な部分に強制的に気づかされる。
彼はひたすら否定され、なおもその信念を貫く意味を問われる。
幾多の試練に潰されそうになりつつも、己の信念の所在を自問し続ける士郎の姿は、セイバールートで歪な正義を張り続けた士郎よりもずっと共感できた。
彼は未来の自分を救うと同時に、自分の信念の根本部分を再確認することにより、例えアーチャーのような未来へたどり着こうとも、それを背負って生きる決意ができたのではないかと思う。
その点で、士郎は歪な願いを闇雲に持ち続けるのではなく、誇りを持って全てを覚悟した存在になれるという点で救われるのではないだろうか。
最後にアーチャーは凛に士郎を託して消えていく。
このルートのヒロインである名門魔術師凛の魔術師としての理想は生まれた時から決まっていて、それは借り物とも言える。
凛が魔術師として完璧を目指せば、自分の感情を押し殺して魔術師としての在り方に殉じなければならない。でも凛はその人生に対して
「その在り方を自分自身で気に入っている」
と自信を持っている。
どんなに重い生き方でも、凛はそれを後悔などせず、むしろその生き方を楽しむ事ができる。
凛は借り物の理想を、自分の理想として背負う事ができるのだ。
そんな凛にこそ、士郎が理想の救済を向かえるためのパートナーとしてはふさわしいのではないか、と思わせるラブラブなエンディングになっている。
ちなみにこのルートでは表のセイバールートとはまた違ったサーヴァントが活躍を見せたり、マスター、サーヴァント間の裏切りが横行したりするのでかなりスリル
満点。
極めつけに士郎VSアーチャーは本当に気分が高揚するので、冷静に内容を理解するために3回読むことになった。また読みたい勢いだけど。
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NEXT・・・桜ルート。