新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

3:桜ルート「Heaven's Feel」誰か一人のための、正義の味方になる



いよいよ書きつくところまで書いてしまいました。最後の桜ルートです。いやあ、このルート、非常に評判悪いみたいなんだけど、個人的にはいいエンドだと思う。



Heavens Feelと題されているこのルートにして、作品は完結を迎える。このルートは他ルートの補完としての意味合いも強く、なぜ聖杯は誕生したのか、そして聖杯戦争の歴史についても明かされる上、3ルート目にして新しい人物が多く登場する。





まあ、多分今回もネタバレなのでご注意を。

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3人目のシナリオ付きヒロイン、間桐桜。セイバー、凛ルート共に完全に聖杯戦争外の脇役で、日常の象徴であった彼女。

彼女に対する生々しいエゴによる欲望と、愛による自制心をともに孕んだ人間らしい感情を通じた救済が、今回のテーマ。



実は桜も魔術師であり、騎乗兵ライダーの正式なマスターである。





作中でも言及されているが、さばさばとした性格で、いわば陽性の凛と比べ、桜は内向的な陰性の性質を持っている。その起源は彼女の生い立ちに秘められている。



彼女は遠坂凛の実の妹であり、幼い頃、魔術師の血が絶えかけた間桐の家に養女として迎えられた。姉である凛に対しては憧れと同時に強いコンプレックスを持つ。



「姉さんだけが父さんに選ばれ、間桐の穢れた儀礼も受けずに、魔術師として輝いている」と。



自然の元素を変換して力にする遠坂の魔術と違い、間桐の魔術は他から精力を奪い取ったり、何かを拘束したりするのに特化した魔術であった。

系統の違う魔術に体を馴染ませるべく、彼女は長年に渡り、祖父の間桐ゾウケンの蟲による凌辱という形で調整を受け続けてきた。

その過酷さは、元は凛と同じだった髪や瞳の色が一変するほど体質が変化してしまうほどであった。

それでも彼女は耐え続けた。それは、自分さえ我慢していれば全てが上手くいくのだ、と信じ自分を押し殺してきた思い込みによるものだった。よくいる、「我慢しがちな良い子」像である。





しかし衛宮士郎との出会い、そして彼への思慕の情が、自己を犠牲にして生きてきた彼女に欲望を抱かせてしまう。

芽生えつつある「士郎が好きだ」という思いを胸に秘めながらも、それを押し殺して彼女は間桐の日常を生きる。







しかし、士郎が聖杯戦争に巻き込まれたと気付いた時から、心配も相まって彼女の思いは抑制が効かなくなりはじめる。

自制心の強い彼女に垣間見えたエゴ、欲望を間桐ゾウケンに見破られ、桜は聖杯として起動、魔力を吸収しなければ生きられない体になり、無関係な冬木の一般市民を多数殺害して魔力を奪い始める。







フェイトの一番最初の記事で、



人間を人間たらしめているのは欲望(エゴ)であると同時に、人間は他者を愛することによりそれを自制できる(罪悪感)と書いた。





聖杯戦争中、他人から魔力を奪わなければ死んでしまう体質になる桜は

「士郎の魔力を吸収したい、求めたい」という激しいエゴと「愛する士郎と傷つけたくない」という愛のせめぎ合いによって擦り減り切ってしまい、最終的には他者への愛を捨ててしまう。

罪悪感、自制心が消え憎しみだけが残った彼女は、他者への罪悪感という観念を持たない「この世全ての悪」というサーヴァントを完全に体内に宿すのに相応しい体になってしまうのだ。





「この世全ての悪」とは何か。

もともと作中で扱われる聖杯は願望を全て叶えるという純粋なものではなく、魂の物質化を再現するために作られた贋作、体を失ったサーヴァントの膨大な魔力を伴う魂が杯にため、願いを叶えるという仕組みである。

しかし前々回の聖杯戦争で、わけ在って反則で召還されたサーヴァント、アンリマユ(この世全ての悪)により「破壊」「憎しみ」という歪んだ方向でしか願いを叶えられない物となってしまっていた。





アンリマユの正体は、とある隔絶された村に住んでいたただの青年。

偶然選ばれた彼は「この世全ての悪」と名づけられ、祭り上げられ、全ての悪を背負わされ迫害され、悪の象徴とされた。

要するに、彼一人が悪人でいてくれる一方、他の全ての人間が善人でいられる、全てがうまく収まる。そういう都合の良い存在である。彼は汚れ役にして救い手だった。その結果、歪んだ形で象徴的な英雄となった。





これは昔から共同体でありがちなことだ。異端などに悪を押し付けることで自分の聖性を保とうとしてきた歴史などいくらでもあることだろう。

話がそれた。ようするに自制心や罪悪感、愛をそもそも知らない、欲とエゴの塊、それがアンリマユの正体だ。









士郎を求める欲望と、士郎の魔力を吸収して傷つけたくないという自制心=愛との矛盾に磨耗していく桜を目の前に、士郎は選択を迫られる。



士郎の信念である「正義の味方」を貫き通すためには、当然ながら多くの人を殺す危険、「この世全ての悪」を孕んだ桜は救えない。

しかし桜という特定個人への愛に目覚めたは「桜を救いたい」というエゴを殺すことができなかった。

この時士郎は桜だけの正義の味方になる、桜を殺すのではなく、何を代償にしても救うと誓い戦っていくこととなる。それにより自分が犯す罪も全て背負うと覚悟した上で。



士郎は、愛する者を守るために時に他者から何かを奪う存在であることを認める。正義や悪もなく、ただ桜と自分の幸せを掴もうと、立ちはだかる者を倒していく存在に生まれ変わる。

このエンドは、士郎がトラウマを克服するために身につけた借り物の理想を追う存在から、自分の矛盾を認め幸せを掴む存在に納得して変わるという形での救済である。









このルートでは、セイバー、凛ルートで挙がった正義や悪などのイメージがことごとく覆される。

昔の切嗣の残忍性が明らかになったり、悪の象徴かのように見えた言峰の意外な真実の姿、思想が明らかになったり、桜とイリヤという二人の女の子のどちらかを切り捨てなくてはならなかったり、誇り高き理想の象徴だったセイバーが敵になったり、後半まで正体不明な不気味な影が、それまでのルートで愛着も湧いてこようという気高いサーヴァントたちを理不尽に貪欲に飲みこんだり。





このシナリオは、人間が生きていく上での選択におけるリアルさが浮き彫りになっている。

そのリアルさとは、人が人らしく生きる以上、エゴと罪悪感の二つを内包して生きていかなくてはならない、ということだろう。

人間らしく幸せになるための選択においては、時に欲望に素直に、時に罪悪感による自制を伴う必要がある。

その結果手に入るもの、失うものがでてくるのもまた必定なのだ。この原理は、正義に味方は全員を救えない、という点に酷似している。





己のエゴを殺し続けて誇りに生きた場合の士郎の理想はたしかに高潔だった。

しかしそれはアーチャーという空虚な結末に終わる。

それは高尚である一方、自然な人間らしさから乖離してしまっているために、人間としての幸せを抱けないということに繋がるからなのだ。



もっとも人間らしく士郎が救済、再生されるという点においては、この桜ルートこそがベストなのかもしれない。









「生きるという事が罪であり、生きているからこその罰がある。

 生あってこその善であり、生あってこその悪だ。

 故に───生まれ出でぬモノに罪科は問えぬ」



                 『Heavens Feel』〜この世全ての悪





正直、このルートは長く、しかもかなり読み心地が悪かった。

最初なんて、他の女の子も救おうとしたのが悪かったのか、桜のために士郎が死んで桜が老後回想する、なんて切なすぎるエンドにたどり着いて明け方4時半にマジ欝ったしwww

やはり幸せを得るには時に何かを捨てることになるのねー





セイバー、凛ルートでのイメージ、感覚が、とたんに覆されてどろどろとしてくるのが演出的にも文章的にも感じられた。

しかし読了すると、不思議と心の中にカタルシスが訪れ、結果としてなかなかに思い入れが深いものとなっている。

やはり人間が行き着くのは、高潔な理想よりも、生臭くリアルな人生なのだろうか。





あ、あと、セイバー凛ルートではあっさりやられていた、目力だけで相手を石化させちゃう魔眼を持つ美女(このヒントで正体がわかるでしょうか)英雄、ライダーがフルパワーで活躍するのもいいところ。

敵になったセイバーVS味方になったライダーの対決は圧巻。






ま、僕は凛のツンデレぶりに完全に心を奪われたのでエゴが凛ルートをオススメしろと叫んでますがね!!!!




これにてフェイト感想もおしまい。

18禁PC版なら60時間でクリアらしいけど、僕はエロシーン無しでPS2のフルボイス版をやって声までほとんど聞いたので、全バッドエンド収集まで110時間かかった。まさに単なるアホ。

でも今至高の幸福を味わっているので全く後悔はない。学生のうちにやっておけてよかったゲームNO1に入るかもしれない勢いです。

文字を読むのがキライじゃな人で、コレ読んでやりたいと思った奇特な方がいらしたら是非プレイをオススメします。貸します。



では、キモヲタのゲーム批評も終わったことですし、次からはまた廃人の日常ぼやき日記に戻ると思うのでご安心を。