新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

自分と環境との関わりを振り返る

うんたら活動の一環として「自己分析」という奴があるのですが、まあその一つとして「環境」というワードについて考えてみようと思います



そもそも面接において環境、とか社会貢献、とかいうのは昨今のありがちな学生が声高に叫ぶタブーワードであり、よほど掘り下げて論理的に語れないとどちらかというと墓穴をせっせと掘る方向に進むようなのです。

まがりなりにも地球環境法学科(ちかん)に所属してしまっている自分はこの界隈に関する分析から避けて通れないんじゃないか、と考えてます







当然だが、僕は生まれたころから環境に興味津々な子供だったわけではない。



一つのきっかけは阪神大震災じゃないだろうか、と思う。神戸にいた小学校一年の冬に遭遇したわけだけれども、それまで穏やかな一面だけを見せていた豊かな神戸の自然が圧倒的な激しさを見せた。



まず立ち上がれないほどの激震のショック、玄関を出れば周囲の家が崩壊してる、地面はガタガタ、高速道路も横倒しになっている。電気もガスも水も出ない。公衆電話も繋がらない、救急車のサイレンも鳴り止まない。

平穏な日常を一気にアブノーマルな状態に持っていった、人間の到底及ばない自然の力強さ、や絶対的な存在感を鮮烈に記憶に残したのが震災だったのかもしれない。



その後、神戸の小学校で過ごした時間は「復興」をスローガンに街が一丸となっていたこともあり、震災後の街や、地震を振り返った地学的な研究をいくつか調べて学校に持ってった記憶がある。



中学入学前に東京に戻ってきて、受験勉強という奴の追い上げにかかった。

そのころたしかちょうど時事問題の授業で京都議定書系のタイミング(違ったっけ?)だったこともあり、ガキながらに「あ、なんか地球規模で自然環境がやばいらしい」と感じていた。







中学に入ると「総合社会」というおぞましい授業があった。

毎学期、文献調査と取材、フィールドワークを通してあるテーマに関してレポートを書く、という科目で「なんかテーマ選びが楽かもしれない」という下心もあり環境関連のテーマを選択した。

最初はダメ出しの連続だった。当時苦手だった顔の大きな社会の教師に「これじゃ事実の羅列だよ、環境問題なんてポピュラーなんだから、ありきたりの結論じゃなくてさ、調べてきたお前は何を言いたいの」的なツッコミをされまくった。

んなこと言われてもめんどくさいよ、わかんねーよ・・・と思いつつもレポート作成のために取材や調査を繰り返すうちに「とりあえず環境はやばいところまできている、そして企業もその対策について考えなきゃいけない時代になっている」と感じることが出来た。





結局は中高4年間ほどで容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、たばこと国民の健康、環境ホルモン、東京都の大気汚染対策、地球温暖化京都議定書排出権取引、などのテーマでレポートをつらつらと書いてきたわけだが、自分なりの結論とか新しい視点からの意見とかを言えたレポートは多くなく、評価もそう高くなかった。まあ企業にもぐりこんだり足を動かしたりして考えたことは無駄にはなっていない気がするのでまあいいか。







そんなこんなでそこそこ調べてきて楽しかったし、縁のある分野だったので、今通ってる大学に「地球環境法学科」とかいうもっともな学科があると知ったときは即刻受けることに決めた。まあミーハーでネームバリュー重視な受験だったので、志望順位は早慶法の次に置いていたわけだが。

環境分野の改善に必要な技術開発などには理系の知識が必要不可欠だ。しかし自分の腐りきった文系脳みそではそんな界隈に関われるはずがない、という独断と偏見により、あっさりと環境関連は諦めていた。

しかし「文系で環境関係の勉強ができるお!!」というポイントに都合よく釣られたのである。







どういった星の巡りあわせか、1勝10敗という受験成績ながら運よくこの学科に滑り込むことに成功したので、大学生活を通して環境と法に関して勉強することになった。

法の勉強は判例から学ぶものが多い。よって環境法関連の勉強をすれば環境に関する事件とその法の成り立ちを学んでいくことになる。振り返れば環境公法、私法、環境汚染防止法や比較環境法etcはなかなか良い勉強になった。



人間には、目先の具体的利益に目がいきがちで、未来の抽象的利益のための対策をなかなかとれない、という本能があるらしい。脳内物質の影響というが、環境法もまさにその連続で、企業が目先の利益をとるばかりに、事件や訴訟で問題になっては法が追いつく、ということの連続だ。

しかし法の整備は電車のレールの整備のようなもので、基準というレールさえ敷けば法人、個人という電車の動きはレールに沿うようになる。環境法が環境問題において果たす役割は決して小さいものではなかった、と実感できた。





が、生来の怠惰な正確が災いして、あまり熱心な学生として勉強していなかったのは確かである。成績表を見れば環境倫理学以外皆CとD。上のほうの面接でつっこまれたら詰みますねこれは。



3年生になって企業環境法ゼミに入った。自分のやりたいこととバッチリマッチしているゼミだったので抽選に選ばれてうれしかった。毎週グループプレゼンがあり、僕は先輩と組んで「発展途上地域の企業の社会的責任」という仰々しいテーマに取り組むことになった。

一般的に楽なゼミに分類されるうちのゼミだったが、毎週2時間、様々な業界と環境への取り組み、というテーマについての発表を水のように浴びることはなかなか悪くない経験だった。





とまあ、今までの人生の環境関連のワード、出来事を引っ張り出してくるとこんなところだろうか。

それでは





『大学で3年間勉強してきて「環境」についてどうお考えですか?』





と面接官に突っ込まれた時にどうするか考えてみよう。







企業の利益追求と、CSRなどの環境経営というのは根本的には矛盾しているように見えます。

非効率化に繋がるケースが少なくないので。

消費者は需要側、企業は供給側にあり、需要側の消費者の選択はいつの時代もシビアなものです。

たとえば、環境を考えた高い商品より、安い普通の商品を買う。ザッツライト。消費者にとって至極当然の考え方です。





しかし安さ以上に消費者の心を掴む要素を兼ね備えた商品の存在を、消費者にアピールすることができれば、それは消費者の選択に影響を与えることが出来ると思います。

トヨタプリウス。確かに少し高いです。だけどハイブリッドシステムによる燃費の良さ、そして

「ワタシ、エコに貢献しているの!!アアッ!エコ!!そう、エコなのよ!!ビクンビクン」

というイメージ、この2つが引き金になって売れてると思うんですよ。



そう、このイメージ、付加価値に実用性が備わっているというのが大切なポイントですね。去年の12月に開催されたエコプロダクツ2008。

行って参りましたよ。もうすごいですね。エコフェスティバルっていう感じで。

このご時世どんな企業も、猫も杓子もエコエコエコエコエコエコ。

うるさいわい!お前らそれ本気なんか?偽善じゃないんかエコなんて?

穿った見方をすればそういうことになります。しかし消費者の感情における

「エコ=地球にいい選択をする」

という行為に今以上に付加価値を与えることに成功すれば、環境経営も、もっとやりやすくなると思うんです。



要するに、企業が環境に関するアピールをもっと強めることによって消費者の意識を牽引していくことが、長期的に見た上で重要だと、私は思います。





・・・なげーし、なんか違う気がする。ありきたり。つまんない。

そもそもこれを口で簡潔にまとめて言える気がしない。



あー就活やだー



「なんとかなる」っていう気持ちと「もう詰んでる」という気持ちのサイクルが巡っていて、なんかもううわああああああ

って感じです最近

チャイ語もヤダー