新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

桜川

「ねえ、秒速5センチなんだって」



「え、何??」



「桜の花の落ちるスピード、秒速5センチメートル。」



「ふうん・・・明里、そういうことよく知ってるよね。」



「ねえ、なんだか、まるで雪みたいじゃない?」



「そうかなあ・・・あ!ねえ、待ってよ!!明里!」



・・・



「貴樹君!来年も、一緒に桜、見れるといいね!」







秒速5センチメートル 第一話 「桜花抄」より











桜もひとしきり散った。

家の近くの善福寺川には桜の花びらがびっしりと、絨毯のように流れていて、さらにそこに白い水鳥が優雅に浮かんでいたりすると、ささくれ立った心が和む。



それはもう、まるで自分がネクタイを締めていることなんて忘れてしまうくらいに。







桜と言えば西行。

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 



                            山家集



武士の家に生まれ院政時の御所に仕えるも、保元、平治の乱等の政争に巻き込まれ出家に至り、更には源平の盛衰を通し、儚く咲き誇る栄華と、あまりにも早いその衰退を目の当たりにしてきた西行。



そんな彼にとって、美しく咲いてもあっという間にはらはらと散ってしまう桜こそが、世の無常を体現する花として最も美しく映ったということは、歴史上の史実から見るに想像に難くない(あくまで西行研究をしたわけでもなんでもない素人だが、某新田翁は、中学だか高校の授業でそんなことをのたまっておられたと記憶している)。



散ってしまうことは皆分かっている。いや、むしろ満開の桜より散りゆく桜のほうが美しいのではないか。年に10日ほどしか咲かないこの花は、人々の目と心を惹きつける。そして人々は桜の名所に押し寄せ、花を見上げながら春の訪れを体感し、しばし我を忘れる。





Seize the Day??いや、そういった純粋な輝きとは微妙に違う。

今を輝いているという充実感に加え、儚く散るという宿命から避けられないことを前提に、咲き誇っているという悲愴感のこもった美しさ。

そういった日本人独特の美意識を、桜の花は刺激するのではないだろうか。



そんなこんなで桜は、複雑な高揚をもたらす春という名のモルヒネを、人々の脳内に注入する。





しかし、千々に乱れる人の思いなど気にもかけず、桜自身は毎年当たり前のように咲き誇り、静かに散っていく。







散ってしまった花びらが絨毯のように川に浮かぶ様を眺め、恍惚と呆けてしまう僕は、桜の美しさに稚拙な解釈を加えずにはいられないのでした。

なんか、改めて、人間って小さい生き物ですねえー



あーもう学校始まるのか