新・時の軌跡~yassuiのブログ~

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空の境界〜真の道への試験的アプローチ〜

空の境界、再読了。



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この作品は、事故により2年間昏睡状態であった両儀式が手に入れた直死の魔眼をめぐる伝奇ものである。ライトノベルに属することになるのであろうが、そこにあるテーマ性と緻密なシナリオの組み方からして、もう少し違うところに置いておきたいマスターピースの一つだ。



巻末の笠井潔の解説が秀逸だった。



シュタイナーの「アカシャ年代記」のアカシックレコード論(世界の万物には起源があり、その起源の方向性に沿って様々な生物への輪廻転生が行われている)が作中の「根源の渦」の発想と類似しているという指摘にしびれた。



神秘思想やオカルティズムにはある共通認識がある。

僕たちが見ている世界の向こうに、根源的な尊い別の世界があるという発想だ。





今日よりもっと楽しい明日を望まない者はない。

この世界で人は、多くの中での特別になろうとしてあがき、なりえなかった平凡な結果を人生として編み上げていく。

しかしその「なりえなかった」という結果は人の心に少なからず禍根を残す。そして、「この世界は真の世界ではない、この自分は本当の自分ではない」と痛切に感じた時に、上記の神秘思想への願望は強くなる。

冒険でも恋愛でも、全ての非日常の空想の物語が僕たちを惹きつけてやまないのはその主人公に自らを仮託し、真の自分像を投影したいという欲望があるからだ。





全ての近代小説、物語は中世の騎士道物語から派生していると言われている。主人公の騎士が様々な苦難や戦いを乗り越え聖杯を手にするといったクチの物語だ。アーサー王や円卓の騎士物語なども有名だ。

この聖杯とはイデアアカシックレコード等、物事の「真の道」にあるものの象徴であるといえる。

例えば、日本文学での、近代的青年が様々な遍歴を経て到達することを願い続け、ついにはその高みに達するというパターンもまた真の道の追求であり、これもまた現代の聖杯だ。

そして、この聖杯伝説をエピソードの一つに盛り込んだ、後のFateを見るに、作者の意識には「真の道」を探す求道者の物語の雛形があるのではないかと憶測してしまう。





だからであろうか、この「空の境界」では騎士道物語のような求道者的な方向性は示されていない。

むしろこの求道者は、アカシックレコードの源である根源の渦を求め続け修羅の道を歩む最大の敵、荒邪に当てはまる。



蒼崎は荒邪に述べる。

「おまえは人々を生き汚いというが、お前本人はそうやって生きることができまい。醜いと、無価値だと知りつつもそれを容認して生きていくことだえできない。自身が特別であろうとし、自身だけが老いていく世界を救うのだという誇りを持たなければとても存在していられない」



卑俗な現実世界に耐えられない弱さが、真の自分こそが世界で究極の存在だという倒錯した妄想をさせる。

これこそが求道者の求道者たる由縁ではないか、というのが作者の投げかけである。







究極の真、非日常を求め続ける荒邪がいる一方で、凡庸や日常を肯定する人物として黒桐が存在している。



誰も傷つけることのない、平凡な、当たり障りのない人生を送る彼。

けれどそういう人生を本当に望んで生きていけるのなら、それは当たり前のように生きているからではない。

人はいつも自己実現や自分の正しさを求める。そんな人の集団の中で、何とも争わず、誰も憎まずに暮らすということは非常に難しい。

よって当たり前のようにあろうと生きることは、それこそが特別なのではないかと。

誰にも理解してもらえないその特別性と、誰もが理解しようとしない普遍性。

誰が見ても普通な存在故に、誰も深く彼のことを理解しようとしない。

誰にも嫌われない代わりに、誰も惹きつけるのとのない存在。

それでも日々を繋ぎ、当たり前のように生き、当たり前のように死ぬ人。それは周囲と何の摩擦も起こさない幸せを得る代わりに、徹底して受動的で、孤独な生き方とも言える。







今の自分は自分ではない、という倒錯と拡大欲求の果て、自らを尊い世界に導く意思の集合として、20世紀に世界戦争や大量殺戮が起こり、集結した。

現代でも心霊世界やスピリチュアルなど、精神世界への憧れはとどまらないし、自分への欲望や妄想も止むことはない。

人が根源的な世界を夢見る行為はやめられないということだろう。

それを前提にして、求道者を悪役に据え、協調や中庸を是とし受動に徹する黒桐を中心に描いたこの作品は、存在しない真の道を求め続けなくてはならないという人間のダブルバインドへの挑戦、試験的アプローチといえるのではないだろうか。



というのが論旨だと思っている。

長々と自己満で書いたが、いい意味でも悪い意味でも人を選ぶ作品ではあると思われる。

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