新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

希望の国のエクソダス〜閉塞化をこじあける希望〜

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」



希望の国のエクソダス (文春文庫)

新品価格
¥700から
(2013/11/16 13:32時点)




「(中略)愛情とか欲望とか宗教とか、あるいは食糧や水や医薬品や車や飛行機や電気製品、また道路や橋や空港や港湾施設や上下水道施設など、生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない、という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか。よっぽどのバカでない限り、中学生でそういうことを考えない人間はいないと思います。」

作中で国会に招致された、全国の不登校中学生ネットワーク「ASUNARO」の中心人物「ポンちゃん」の言葉だ。





昨年の自殺者数は3万2000人。警察省の資料によれば平成11年より10年連続で3万人を超えることになる。

阪神大震災で亡くなった方々は5000人超といわれる。滅相もない話、と注意されるかもしれないが、このクラスの災害が年6回起きている計算になる。年代別に見ると30代の人々が増加している。



閉塞感という見えない病原体は確実に日本人の心を蝕み、この国の根幹を徐々に腐らせている。大人たちはそれを正視しているように見えないが、その社会で未来を生きるのは僕たち若者だ。





高度経済成長で物質欲を満たし、バブルで高揚感を満たした日本は今過渡期にある。

均質性の高い空間が長い間続いた結果による閉塞化である。

つまり「この社会が永遠に続く」という幻想だ。

そして、変化は基本的に痛みを伴うから、変化に繋がる要素は見ないことにするフィルターが心に作られてしまう。よって、驚くべきことがあっても何も感じなくなってしまうのだ。

そして、今後経済が回復しても、昔のように皆が一律に裕福になることもないと薄々気づき、昔はよかったと懐古趣味にひたる。それを犠牲にして今の豊かさを手に入れたことはすっかり忘れて。



人々は自分の属していることを確認するために小さなコミュニティに籠り、集団内にしか通じない貧困なボキャブラリーでコミュニティ内の「常識」確認に終始する。「うざい」と連呼する若者も居酒屋にたむろするサラリーマンも点数稼ぎに奔走する官僚も、均質性の保たれた社会の下にある、小さな組織の中で努力なしで成立するコミュニケーションを続けた結果、個人として社会、世界と向き合って考え、語ることができなくなってしまった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この作品は1998年時の近未来ファンタジーだ。

2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てる。経済の停滞が続く中、彼らはネットビジネスを開始、グローバルな情報戦略を用い大人の油断の隙を突いて、政界や経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まる。

中身は大きく日本の社会構造を突く中学生の反乱パートと、アジア通貨基金が成立したと仮定して、その後の市場に翻弄される日本経済のパートにわけられている。



日本人のアイデンティティとする集団を失った不登校の中学生たちが「ASUNARO」というネットワークを作り、閉塞している日本社会に新たなビジョンを提示する。

彼らの提示するビジョンは大きく分けて二つのアプローチによって成り立っている。

一つはIT技術を生かした、付加価値を生む多様なサービスの創造と通信インフラの構築と日本社会に適応する教育でなく世界で生き残る人材を育てる教育の創造。



二つ目は、一つ目で強化した情報力、人材力を生かした市場経済の利用による資金調達。

そして、日本の共同体社会が目をつぶっている中長期的に見たリスク、たとえば核燃料施設の事故や若者が社会に参画した時にどうサバイバルして国を支えていくのかといった点を特定して向き合うこと。



当初は「普通の学校に飽きて飛び出した中学生の遊び」程度に思われていたASUNAROは事業の拡大と新しい発想によるコンテンツの拡充、グローバルネットワークの強化を続け、徐々に世界中での認知度を広め、経済力をつけていく。そして、国内で雇用が縮小して弾かれた大人たちを雇い、ネットワークサービスを会社として昇華させていく。

一方で政府は日本を中心としたアジア通貨基金構想に乗り出す。

アジアから自分たちの利益を吸い出すという従来の思考から逃れないままに一人歩きする「アジアの盟主」といったキャッチフレーズが広まり、経済も回復するだろうという楽観的な思考のもと、中国や香港の提案に譲歩しながら円を中心とするアジア市場が生まれる。

しかし、あるアメリカのプロバイダの出した中国の人口に関するニュースから、中国市場が急落。それを皮切りに円とアジア通貨基金は国際金融資本から攻撃されることとなる。

突然の事態に政府は対応できず、被害の状況、そこへの対策、その代案、実行者、責任の所在等が不明な会見を繰り返すばかり。日本は破産しようとしていた。

しかしその時ASUNAROが中国の人口の信用に値する統計を発表。

売り叩かれたアジア通貨が買い戻され、日本は破産を免れる。

そしてASUNAROの代表は国会に招致されることとなる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



冒頭の通り、この国に欠けているのは希望である。

みんなが目指したい社会の理想像がなく、そして「俺のように生きろ」と自信を持って語れる大人もなかなかいない。皆意気消沈している。

そんな中で大人は「多様化した人物になって、その個性を生かしていままでと違ったことをしてね」と言いながら90年代に教育をしてきた。と同時に「いい高校、いい大学、いい会社にいくために塾にいこうね」とも言ってきた。



僕たちは通信網の進化等様々な要因によるグローバル化によって世界に繋がっている時代に社会人になる世代だ。

会社、国家のために身を粉にするという思考から脱却し、世界の需要に対して自分個人の能力をどうコミットさせることができるかということを考え、常に変動する状況に適応しなければならない。

この小説が書かれた時点で想像されていなかったサブプライムローンという一つのバブルを生んだ金融市場主義に欠点があるのは去年明らかになった。

スタンダードであるドルを持つアメリカの、金を増やしたいという欲求、そこに便乗して金を増やしたいという世界の投資家の欲求が膨らんではじけた結果が今日の投資銀行の崩壊だ。

だからといってその欠点を指摘して現実逃避に浸る時間もない。

もうグリーンニューディール、「エコバブル」は生まれようとしている。

グローバルになればなるほど膨らむ「分かり合えることより分かり合えないことがはるかに多い」というコミュニケーションの欠陥部分を認めつつ多様性を認めていかなくてはならない。

異文化に対して寛容に接することが最大のリスク管理になる、と村上龍はあとがきで語っている。



エコバブルや環境特需は個人的には一概に歓迎できるものではないと思っている。

当然ながら企業の行動が100パーセント環境保全に結びつくことはないからだ。

でも、金融バブルと違い、そういった需要による技術の革新は後々の世代の財産になるし、何より「成熟した社会の次の発展の形」を提示できるという点では明確なビジョンになりうる。





当分はこの環境特需は続くだろうが、僕は社会に出て携わるミクロな仕事からも、常にそういったマクロなビジョンにどう貢献できるかを考えながらやっていきたいし、もしこの長ったらしい文章をここまで読んでくれている方がいれば、どんな仕事に従事するのかはわからないけれど、あなたにもそういうチャンスはいくらでもあると思う。

そういった若者が増えることが日本社会の閉塞をこじ開けることにも繋がるかもしれないし、なにより僕たちが生きていて楽しい未来に繋がるのではないだろうか。

希望の国のエクソダス (文春文庫)

新品価格
¥700から
(2013/11/16 13:32時点)




あ、夏のあらし始まる