25歳ですよね←勘弁
今日バイトをしていたら、入ってから日の浅い女の子に
「安井さんって、本当は何歳なんですか?」
と神妙な面持ちで聞かれた。
本当はって・・・いつ僕がこの子の前で自分の年齢を偽ったのだろうか・・・
と内省しつつも、初対面のバイト仲間に、29歳から19まで幅広く解釈される僕の外見年齢をリサーチすべく、質問を猛リリース。
「そうだねえー、何歳に見える?」
「え、はずれたらまずいですよね・・・」
「いや、んなことねーって」
「25歳ですか?少なくとも大学は卒業してる感じ」
いやはや、なかなかやりおる。
付き合いも3年目になる同僚のR君。
R「俺、今日朝からOPPなんっすよ・・・」
廃人「え、オッパイパブ?元気だねえ」
R「いや、お腹ピーピーですwww」
末期だ。
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今月はとても飲みの多い月だった。金は飛び、時に意識を失い見知らぬ駅のマクドナルドで目覚めたりゲーム中に失神したりと過激だったが僕の胸の奥の良心部分は
「That's all right」
と松岡修造(MS)ボイスでアグレッシブに囁いているので後悔はしていない。
サークル、ゼミ、内定者etc・・・4年生になってコミュニティの人間関係が濃密になってからの飲み会は格別なものだ。
こういうフリ(全部下ネタ)を振ればヤツはこういう反応をする、じゃあこういうオチで行こう・・・
ツーといえばカーというのか、当意即妙というのか。社会的効用性が0に近いこの話術を匠の業の域にまで高めるには、アルコールという合法麻薬による脳の適度な弛緩が不可欠である。
ゼミでも、4年生まで学科と比較的距離を置いた生活を送ってきてしまったからか、4年目にして新しい一面の見える友人が多くいる。これもまた楽しい。
内定者という初対面の人間ともたった一度か二度の飲み会で大分通じ合うことができたような気がする。
初対面の人間というのは、どういう経験をしていて、どのような価値観を持っているか分からない。当然だが、このような場合は慎重になる必要があり、情報の開示の仕方も慎重にならざるを得ない。
これは建前とか薄いコミュニケーションとかの段階であるが、何事も順序といったものが肝要である。
たとえば内定者飲みでなくとも、例えば新歓だったり合コンだったりで
「趣味は多摩川河川敷での荒々しいセックルです」
「諸君、私はょぅι゙ょが好きだ」
「や ら な い か」
といった全開M字開脚に近い会話をカマしてしまった場合!
僕のような外道なら「あら、いいですね」と果敢に食らいついていきたいところだが、一般的な良識をお持ちの方々であれば光よりも早く 「人外の存在」という レッテルを貼るやもしれない。
どんなにその人が仏クラスにリスペクトできるファーストインプレッションを放っていたとしても、彼を待つその後は空間内における空気的抹殺、彼以外のメンバーによる見えない心の壁、EVA的に言えばATフィールド展開である。
一方で、そういったHON-NEのカミングアウトの後のハブられ、あるいはシカト、日本史的に言うと村八分的な扱いを恐れて陥りやすいのが、建前の連鎖によるコミュニケーションの希薄化である。
質の高いコミュニケーションにたどり着くために、いつか本音で語り合いたいとみんな思っているはずなのに。
大事なのは、建前から本音にたどり着くまでのプロセス。そこに人の価値観が顕現し、それを認め合うことで絆が生まれる。
従って本音も建前も、どちらが良い悪いというものでもないのである。
話は飛んだ。
内定者との関係が一気に縮まったのはなぜか?
個人的に考えた結論を言うと、会話に使うネタの入ったタンスの引き出しがたくさんあること。相手に適したネタの引き出し方を工夫すること。この二点が関わっているのではないかと思う。
初めての会話が始まったときは、相手の自己紹介などの建前的トークを聞き、自分のタンスの引き出しから相手の得意ジャンルにフィットするネタを探してくる。
そしてそこから少しずつ相手の価値観や嗜好についての情報を探り、「本音」の言い合える空気を作る。
相手は相手で、引き出しのネタの出し方や、語り口などで、本音を言っても大丈夫な人間かどうか、互いの価値観に根本的ズレがないかどうかを無意識に判断し、「コイツ、なんかいいな」と思えば磁石が引き合うように会話の距離も縮まっていく。
価値観の多い人間が多いからこそ友達を強引に作ろうとしなくても、出来る空間。
これがあるから早いこと距離が縮まるのかなー、と。そう思いました。
まただらだらと長文を書いてしまった。
もっとシンプルに物事をまとめられる人間になりたいな。
では、そろそろ休日の無い6月が始まりそうな勢いだけど、Good luck!