新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

希望を捨てない勇気

夢を追い続けるとか、希望を叶えるとか、そういったフレーズが陳腐だと揶揄されて久しい。特に僕らの世代にとっては。

もっと現実を見ろだとか、自分の身の丈に叶った目標を、だとか鬱陶しく言われ始めるのは大学受験あたりだろうか。

22歳の秋を迎えた今現在、スケールに関わらず、自分の夢を実現しているなあと主観的に眺めていて思うのは、野心と努力、観察眼を兼ね備えた人間だ。

それ以外は、相対的に評価する失敗や成功ではなく、それぞれの努力量や素質に比例してちゃんと歩むべくして歩む道を進んでいると思う。

僕にいたっては、もともと昔から明確な夢も希望もそこまでなく、ただいいにおいのしそうなところへ胡散臭く歩んできただけだから後者に入るのだろう。







日本はちいさくなる。民主党のバラマキマニフェスト断念にも端的に現れているように、全ての人々が夢を叶え、喜びを感受できる時代は終わろうとしている。誰かが得をすれば誰かが損をする。僕らが小さい頃から見せ付けられ続けてきた、総中流時代の終わりがいっそう加速を始めたということだ。

よく引き合いに出される非正規雇用や就職難がいい例だ。







景気の底打ちに伴って非正規雇用を微妙に再開し始める企業もあるが、報道により実態を白日の下に晒され、法整備もされつつある今、かつてのようにボロ雑巾のように使い捨てることができるメリットがあるわけではなく、雇用数は増える見込みはほとんどない。

少子化等もろもろの要因により経済のゼロ成長、縮小化がほぼ確定の日本の将来において雇用は椅子取りゲームの様相を呈している。

一方既得権益をがっちりと掴んで離さない(TVで使われないからといって、ネット上で使われ放題のこの文句)中高年以上の正社員が椅子をそう簡単に譲らない以上、就職難の状況が生まれるのもまた当然である。場合によっては、彼らは高額の退職金などによってその椅子を持ち去ってしまう場合さえ懸念される。









池田信夫の「希望を捨てる勇気」という本が売れているとか売れていないとか。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6f12938eaad206d10b7629456f0a051e



椅子取りゲームにあぶれ、実社会の競争で敗れた若者を氏は、無気力であるとし



2ちゃんねるで、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる』

と述べている。





しかし、僕は若年層は一概に無気力でもないし無能力でもないと考えている。

多くの中高年層の主張する「今の若者がダメだ」論は大概「忍耐力がない」「努力しない」というところに終始する。



何かを断念する、諦めるというケースは本当に忍耐力がない場合と、なんのために努力するかが明確に示されない労働を強いられる場合に分けられると思う。

特に、自己愛が強いため泥臭い仕事に没頭することを嫌い「やればできる奴」「がんばらないけどやる時はやる奴」式を好む若者世代には、中高年式の「とにかくやれ。後からついてくる」式(僕はこれも嫌いではないが)に、何のためにやっているのかという目的意識を見出すことができず音を上げるというすれ違いが生じているような気がする。場合によっては欝状態になるほどに。

これは若手社員の世代の呟きをネット上の書き込みなどで見た感想でしかないのだが、体育会系と呼ばれるプロ野球若手選手の指導方法にさえも根性論が通じなくなっているという点にも端的に現れているのではないかと、個人的には思う。



何を実現するための努力かを明確に示すことで、着実に実力を出す、そういう世代なのではないか。言われればやるマシーンから本物になれるかどうかはその成功経験を踏まえて自発的な課題発見能力を養成できるかにかかっているのだが、経験を積み重ねる段階にすら至れない場合、若者は無駄な挫折にまみれることになる。





要するに、若者世代はダメと言うわけではなく、ちょっと変わってきている、のではないかということである。

また氏は

『「明日は今日よりよくなる」という希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。』

と述べている。

しかし、悟ったかのように諦念の境地にある若者がいる一方で、今の老人ができない新しい発想で新しいビジネスを切り開いたり、情報入手、整理能力を生かして優秀な成績を出す若者がいるのもまた現実だ。

堀江孝文氏に始まった「成功」神話は中高年世代には嫌悪感を持って語られる場合が多いが、若者世代には閉塞感に一つの穴を穿ったパイオニアとしての印象のほうが強い。

クソな世の中をギャフンと言わせてやりたい、というバイタリティを持った若者は、革命分子になろうとするよりは、ITで頭を使って一儲けしてやろうとしているケースのほうが多いと思う。

なぜならシステム系やプログラム提供系のIT企業は、起業する上で大規模な工場や生産ラインも固定資産として持つ必要がなく、パソコンとプログラミング知識、豊かな発想力があれば簡単に会社が出来るからだ。目の付け所がよく、いい人材に恵まれればの話だが、10年あれば大企業にある可能性を秘めている。

また一方で、海外に脱出する人材もいる。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091012/p1#seemore





長々と書いてきたが、若者世代の僕らに必要なのは、希望を捨てる勇気ではない。

努力しても報われない、といって目の前の閉塞感に耐えかねて逃げ出さない勇気と努力に対して失望しないこと。



大事なものはいつも、目の前のクソッタレな現実の隙間に光を探す冷静な眼力、そこに向かってピンポイントに死に物狂いで努力する要領のいい努力だ。



http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20091012/p1#seemore





ゼミの準備しなきゃ・・・