新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

タイツの矛盾螺旋

小さい頃、人の目ばかり気にして生きていた。



いつからだろう。きっと、乳母車を妹に奪われた頃ではないだろうか。

そんな記憶も残っていないような昔のことを考えた自分が笑えてくる。

だけど二本の足で立つことを強要されたころから、僕は他人の、当時は自分にとって最もかかわりの深かった母の評価を気にして、黙々と立って歩き続けた。そんな気がしてならないのだ。ある時は親戚の目を気にして、ある時は友だちの親の目を気にして、常にどうやったら褒めてもらえるか、それだけをずるがしこく考えていたような気がする。

そんな「よい子」は他の大人の目を欺いた気になって「よい子」を装い続け、愛されることを目指して生きていた。子供は往々にして愛に渇望している生き物だ。今思えば、その形も至極当然のものだったのかもしれない。



誰からも嫌われちゃいけない。

みんなと仲良くしなきゃいけない。



そんな風に過ごしてきた少年は、やがて自意識の強くなる第二次性徴期を迎え、からっぽの自分に気づく。

そんな他人の視線や気持ちで作られた張りぼての自分なんて、一体どんな価値がある!?



これはまさに彼にとって青天の霹靂であった。今までの信条が全く価値の無いものであると気づいてしまったのだから。それは彼の今までの人生を否定することに繋がった。

かといって、おもむろに悪ぶったり、流行に身を任せつつその中にお仕着せの自分らしさを主張するのもなにか違う。

何もない自分の胸の奥を見つめ続けた少年は、次第に陰鬱な影を帯び、生気を失った眼で書物の中にその答えを求め続けた。





ある日書架にもたれ掛かりながら、少年は虚ろな眼差しで本と本の隙間に一筋の光を見た。















「・・・全てはエロだ。下心あり。故に我在り。我に近づく者、その下心からいずる暗黒に呑まれるであろう」

全くつじつまの合わない信念を持ったDTが、図書館に爆誕した瞬間だった。







・・・・・・・・・・・・





さてさて、テキトーに書き出した文章を完全に丸投げした大きなお友達は無視して、廃人の呟きタイムに参りましょうか。

なんですか、もうこの季節になるとタイツがデフォじゃないですか。





タイツ(英語:Tights)は、一般的にはストレッチサテン地、ナイロン地など伸縮性を持たせた布地で縫製されたフィット性のあるズボン。

保温を目的とした衣類の一種で、腰から足のつま先までを覆うパンティーストッキング型状の製品が多い。また衣類の分類的にタイツは衣服であり、靴下ではない。







とこの世で最も信憑性のある情報ソース(それにしてもウィキペディアの画像はひどすぎる。アンサイクロペディアを見習って欲しいものである)と言っても過言ではないウィキペディアには書いてある。

しかし、この世に数多存在するであろう変態という名の紳士のうち100人に聞けば120人超が



「足りない!説明不足だ!最近だらしねえな!」



と怨嗟の声を張り上げることとなるのは間違いない。

では何が足りないのか。

賢明なる紳士の読者の皆様方におかれましては今更説明の必要もないかもしれないが、文章は常に全ての人間にとって分かりやすくあるべきという僕の勝手な信条に基づいて、例をとりながら説明しよう。





例えば、パンツ。あの、くしゃくしゃにしてしまえば掌の中におさまってしまうような布キレが、時に犯罪者を生み出してしまうほどに我々メンズのソウル的部分を激しく揺さぶるのか。数々の立派な持論をお持ちで、ここで小一時間ほどパンツについて語りたい方には申し訳ないのだが、僕は僕なりの論を勝手にブチ上げたいと思う。

パンツであればなんでもいいのか。そうじゃねえだろ!?

我が家において、洗濯が終わった後妹やオカンのパンツをつまんで各々の部屋に放り投げたりするのは日常茶飯事と言えなくもないのだが、そんな時のパンツは興味以下の対象で、時に憎悪すら抱くこともある。また、デパートの下着売り場で光るマネキンが堂々とはいているパンツにもなんら欲情することはない。僕たちには、顔を赤らめつつそそくさとその場を立ち去ることしかできない。



では、僕たちが欲情するパンツとは何なのか??

まずは「普段見えないのに幸運にも見えてしまったパンツ」。実にスタンダードである。俗に言うパンチラだ。





・・・授業開始二分前。

「あー遅刻遅刻」

全く授業に間に合う気の無い僕は大学構内の階段を上っていた。その時、背後からカッカッカッとせわしないヒールの音が聞こえた。

同じクラスの女の子だ。向こうは僕のことを知らないが、常に周囲の女の子をスカウターで高速採点している僕のことだ。彼女の存在はインプットされている。

いい香りのする風をまとった彼女は僕を追い越し、階段を駆け上がる。彼女のスカートは丈が短かった。そこからすらりと伸びた脚は白磁のように白く、芸術品のようで、素早く躍動するそれに僕はただ見とれていた。

その瞬間、僕の眼前を淡い桃色の花びらが横切ったような気がした。

物理的には0.1秒に満たなかったかもしれない。でもその瞬間は、僕の心をどうしようもなく掻き毟った。











そして僕は射精した(脳内で)。





とまあ、要するに、メジャー・パンチラシーンとはこういったもので、敢えて恋焦がれている女性のものであったりする必要はなく、あくまで、さりげない日常に突如舞い降りる非日常。こういった狂おしいまでに風情溢れたパンツが、第一のケースである。

ちなみに、リクルートスーツのパンツに浮き出るパンツラインにうっかり注目してしまった場合などもココに区分させていただく。欲望を掻き立てる存在に違いないが、パンツラインは「物理的に見えている」からである。





次に「全く見えていないのに脳内で描き出されるパンツ」である。

例えば、大変けしからん話であるが、誰か女の子を好きになれば、その女の子に関するあらゆる妄想が、僕たちの頭の中で猛スタートする。

となれば世界に誇る変態大国日本の男児たるもの当然妄想はその子のお風呂シーンから着替えにまで及ぶ(これは幼少期の日本人の大半が見る、ドラえもんというアニメにおいて、頻繁にしずかちゃんのお風呂シーンが描かれることにより日本男児の深層心理に影響が与えられた結果と言われている。文部科学省調べ)。

結果としてそのプロセスにパンツは必須であり、もうパンツさえあればヤック・デカルチャー!俺の股間も超時空要塞だぜ!という心境に至るほどの渇望が生まれるのである。あくまで妄想に限るが。

時に溢れんばかりのそれを抑えきれない紳士は、ストーカー行為の挙句下着泥棒という愚行に及ぶのである。





そして「セクロスする直前眼に入ったパンツ」。これは確かに爆発的に欲情しているにはしているのだが、一番風情がない。なぜなら、渇望がこれを見た後に満たされることが確約されており、いささか野獣的といえる興奮要素を持ったパンツだからである。







酸素の切れ掛かった頭で、ふと我に返った。

これでは完全にパンツ日記である。しかも何かを説明しようとしていた気がするが書きたいがままに書きまくったので支離滅裂だ。







話をタイツに戻そう。たしか「タイツのどの要素が説明不足だったのか」という点から話が暴走したものと思われる。



僕個人の考えるタイツの重要な要素その1



美脚効果。生の脚というのはそれはそれでもちろん扇情的である。ショートパンツやスカートから覗くそれは全天候、365日僕たちを悩殺する。

しかし、生脚を思う存分見られる夏を越え、少しずつ冷たい風も吹き始める秋が訪れると、タイツのシーズン到来である。本来僕たちを翻弄するはずの肌を隠すという控えめな印象を残しつつも、そのぴったりとしたシルエットは生脚に限りなく近いものである。

あの生脚がみたい!!でもこれはこれで綺麗だ・・・。

このように、渇望感の入り混じった刺激が脳内にもたらされるのである。

よって「脚を隠しつつも、魅力的に見せるという一見背反している要素を両立させている、まさに文明の結晶ともいえる製品である」という説明をウィキペディアには加えていただきたい。



僕個人の考えるタイツの重要な要素その2

タイツは言うまでも無く目に触れる存在である。

しかしご想像願おう。

これは女性が下半身を保護するためにはく存在であり、意義的にはパンツに近いのである。

僕が妄想する限り、女性がパンツの上からスカートをはく動作からは、さほどなにもかき立てられるものはないのだが、パンツの上からタイツをはく動作からは、なんだか非常にみなぎってくる何かを感じるのである。

そしてさらにそれは、裸の状態からパンツをはく妄想よりもなんかこう、切迫感のあるドキドキ感というか、そんな感じだ。



こういうことを書いていると本当に僕は



ド変態だと思うときがあるのだが、止まらないのだからしかたがない。

そして結果的にこの日記もパンツ日記になってしまった。



なんかこう、このなんの生産性もない文章を書いた後ってヤケにすっきりしてるんだよね。ほんと腐ってるな自分。でも後悔はしていない。

きっと僕の気持ちをわかってくれる紳士もきっとどこかにいると信じたいから。