月に繭、地には果実
福井晴敏の「月に繭、地には果実」を読了。
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=アマゾンより=
地球を壊滅寸前まで追いこみ、月と地球に分かれ住んだ人類。月の民が企てた「地球帰還作戦」から壮大な悲劇が始まった。ガンダムの歴史に新たな一ページを刻む、SF大河ロマンの金字塔。
富野監督のターンエーガンダムのノベライズというのが近作の位置づけなのだが、世界名作劇場といわれたTVシリーズとは真逆の、人の悪性をさらけ出す内容となっている。
個人的に言うと福井晴敏は、さまざまな利害にとらわれた社会的な人間関係を綿密に描くと同時に、その根底に潜む本質を浮き立たせることに長けた作家だ。
亡国のイージスや終戦のローレライ、そして機動戦士ガンダムUCなども、その流れをくんでいる。
以前twitterで、山崎豊子の沈まぬ太陽を読み、
「みんなが自分にとっての正義や信念に従って行動してるだけなのに、結果として様々な軋轢や腐敗・不条理・非効率がおきてしまう。」
とつぶやいた友人がいたが、そのような人間の持つ本能的な原罪を客観的に洗い出す、そういった俯瞰的な視点が福井の真骨頂なのではないかと思っている。
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とにかく、最初の3ページ。
この3ページで、人類が地球の命のなかの一つとして生まれ、そして宇宙に至るまでの闘争本能を拡大させた末に滅びに足を踏み入れるところまでが、端的に聖書のような表現で凝縮されて描かれる。
人口のほとんどを失い、地球環境を壊滅させた人類は、地球が大地を回復させるまで、月で過酷な生活を続けながら、2000年耐え続けることを選んだ。一方で地球には科学技術を封印して、ひそやかに暮らす人類が残された。
そして2000年の時が経ち、地球に残ったわずかな人々のもとに、圧倒的な科学技術を持った月の人類が地球帰還を開始した。
双方に生じた誤解がきっかけで、些細な小競り合いが始まり、やがては封印されていた旧世紀の科学技術が大地と人の命を再び焼き尽くす・・・
この作品はさまざまな人物の群像劇からいろいろなことを感じさせてくれるのだが個人的に一番印象的だったテーマは、
「過ちを冒すことが、生物を存続させることのエネルギー」
であるということだ。
人間は、何か大切なものを持った時から、一つのベクトルのパワーを持って何かを削る存在になることから逃れられない。
狭い原理主義にとらわれれば主義に反するものを迫害するだろう。
大義や多数派思想にとらわれればマイノリティを撲滅するだろう。
会社という組織ならは他社より抜きんでようとするだろう。
社内ではポストをめぐって血みどろの駆け引きがあるだろう。
愛する家族を手に入れればそれを守るためならば火の粉を降りかける存在を駆逐するだろう。
国民としてでも、一社員としてでも、父としてでも、立場を持つということは自分自身の意思を強く、明確にする一方で、自分の仮想敵を必然的に作りだしてしまうことでもある。
そして、どんなに正しい理屈のもとに動いているシステムであっても、その影で誰かの人生は必ず狂わされて、誰かの命は失われる。悲しいことにこれもまた必定といえる。
そしてそこから生まれる怨念が、敵討ちの欲望を持って少しずつ社会を歪ませ、その活断層がずれを起こしたかのように爆発する時、戦争やテロは起こるのだ。
作中の月の民も、地球の人々も、決して争い自体を望むわけではない。
しかし組織のため、忠義のため、家族のため。
さまざまな立場を守ろうとするさまざまなベクトルの意思が絡み合い、望まない殺戮が繰り返され、やがて戦火は地球を再び焼き尽くしてしまうほどに拡大されてしまうのである。
その中で駆ける∀ガンダムという機体は、旧世紀の人類が未来の子孫が繰り返すであろう過ちを予期して作った存在だ。
過ちに過ちを重ね崩壊し、終局を迎えた後に再び原点に戻る。
そのような人類の歩みをあらかじめ予測し、旧世紀の人類は大地を回復させる科学技術を内蔵した∀(原点への回帰という意味)ガンダムという機体を、遺産として残した。
その螺旋を繰り返していくことが地球上の生命としての定めなのではないか、というのが一つのこの作品の投げかけなのかもしれない。
最後に本筋とは違ったところで印象に残った一文を。
新聞記者やパン屋になった幼馴染をみて、主人公のロランが感じた部分。
「小麦粉の香り、インクの香り。同じ大地を歩き、同じ空を見上げていながら、今や全く別の世界に住むようになった親友たちは、自ら選びとった仕事に最善を尽くしている。ただ職能を切り売りするのではなく、仕事を通して世間を見、自分自身を顧みて、一個の大人として社会に参画しようとしている…」
僕も数年後はこうなれるのだろうか。