外部評価のためのおしゃれ
さて、七月です。
季節の早さがやばい。
なんかまだなにもできてなくて、時間がだけが流れているような気がしているのに。
みなさん、おしゃれってなんのためにしてます?
いや、別にビンテージ物のジーンズを大事にしてる人の趣味をけなすとかそういうわけじゃないです。
それは野球やサッカーが好きな人に
「野球?サッカー?ちょっと、アレですよねえ・・・」
といったファックな文言をカマすことに他ならないからだ。
この日記は決してオサレを突き詰めること自体を楽しんでいる方を中傷するわけではないことを重ね重ねお伝えしたい。
ただ、少なくとも僕はオサレは趣味ではない。
できれば服を買うお金をすべて趣味全般に回したいくらいだ。
だが僕はスーツを買う。今持っているものよりややオサレと思われるスーツを買う。
そしてそれはなかなかに僕のボーナスを吹き飛ばした。だが買った。
この現象について考察してみよう。
オサレスーツを買うメリット
?職場の人の見る目が少しよくなる(?)
これははっきり言ってなんとも言えないが、サレオツでないよりはサレオツであるべきだという風潮がうちの会社にはなんとなくある(現に先輩や上の方々ほど、洗練されている)。よって就活用にとりあえず買ってしまったダボダボのスーツより心象がよくなるのでは?といったどーでもいい予想メリット
?同期の見る目が変わる(のではないか)
研修中から、僕の見た目はことあるごとに指摘されてきた。
「もっとええスーツ着んと損すると思うよ」
「いくらケツがでかいにせよ、もうちょっとサイズ詰めれるんじゃない?」
女の子ならまあいい。
「別にそういうトレンドとか興味ないお」とか思える
がしかし、男の同期に親身に述べられると心中穏やかではなくなるのだ
?(もし上記が改善されれば)僕の気分がよくなる
もしも、上記の効果が発揮されれば、もしくはそれが実感されれば外的評価を上げられた自分に気分がよくなる
つらつらと汚い話を綴ってきたわけだが、要するに僕が得たいのは?である。
なんというスイーツ!
女の子からも、職場からも評価される私の愛され系ゆるふわファッションサイコ−!
という精神となんら変わるところがない。
外部評価による心的印象の欠損。僕はそれを第一に恐れている。チキンということなのだ。
人は見た目が9割。
僕としてはこの言葉が表現したい意味は、※ただイケというわけではなく、人に悪印象、ネガティブイメージを与えないことが肝要!ということだと思っている。
最悪の話、フケが肩につもったサラリーマンとは商談をしたくならないのと同じことである。
外見がアウトだと中身を見てもらえない。
これは接する人が飛躍的に増える代わりに、個々人と会う時間が顕著に限られてくる社会人が直面する悲しい現実だと勝手に思っている。
本当に自分を貫ける人、対外評価に毅然とした態度のとれる人はおそらくこういったことはしない。
勝手なイメージを述べさせていただけば、バンカラ、硬派というやつだ。
その根底には強固な哲学が横たわっている。
ただ、僕のような弱者は、オサレしないデメリットよりも、オサレしたらこうなるかもしれない、という期待メリットをとってしまう。
弱いなあ自分。ソープ嬢に
「あなたの背中は弱い。はったりをかますことが心も体も元気にするための基本」
と励まされた自分でした。