吹きすさぶ夏の嵐に
「君は小さい頃野球をしていたとぼくに言った。覗き部屋の待合室で確かに言ったんだ。兄弟みんなで、ほかに遊びが無かったから、野球ばっかりやってたと言ったよ。」
「言ったような気がする。でもどうしてそれでぼくが嘘つきということになるんだ。」
「そういう子供時代を過ごしてきた人間にとって、野球は神聖なものなんだ。違う?」
「よくわからない」
「神聖なものだ、何よりも大事なはずだ」
村上龍「イン・ザ・ミソスープ」第一部より
今日も神宮で高校野球を観戦してきた。
もう準決勝ということで、4つのチームがしのぎを削り、焔立つ神宮のグラウンド上で、2つのチームの夏が終わった。
高校野球を終えて初めて得るものがある、という。
チャンスは一回限りしかない高校野球のプレイヤーにとって、目指すものは勝利だけである。
3年目のラストシーズン、その目標が目の前で夏の幻のように消滅してしまった時、感じるのはただひたすらに深い喪失感だろう。僕は当時そうだった。
すぐに受験に頭を切り換えられる者もいれば、喪失感に飲まれて抜け殻のようになってしまう者もいるだろう。
ただ高校球児の夏が終わった瞬間は、一つの目標に対して死ぬ気でがんばった、という経験の習得の瞬間、新しいスタートの瞬間でもある。
それを得ることは、その後の人生のあらゆる選択の瞬間、自分との戦いの瞬間において非常に大きな糧となることは、スポーツを経験したことのある人間なら誰でも首を縦に振ってくれるのではないかと思ってやまない。
要するに一つ言えることは、高校野球を通して得た情熱や友情を、生涯の財産として持ち続けていくことができるということだ。
それが年をとるごとに薄れていくとしても、決して消えるものではないと信じたい。
一塁ベースの上で泣き崩れる最終バッターを見てそう思った。
彼の大きな物語のゴール、彼の新しい人生のスタートに拍手を送りながら。
どうしようもない そんな答えじゃ
終れないから どこへも帰れない
吹き荒ぶ夏の嵐 暮れ行く広野に
涸れ果てた夢に注ぐ 涸れない涙を
僕らは明日へ 歩みを止めない
BEGIN 「誓い」より