新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

東北地方太平洋沖地震について。

この地震が起きた時、僕は会社にいて、電話会議ごしに

地震です。ちょっと会議どころじゃないです」

というような声を聞いていた。

福岡にいる僕にとって、東京の地震といえば震度3くらいかな、と思う甘い癖がついていたことは否めない。

15分後、僕は破壊し尽くされた岩手や宮城の街をTVで見て、そのさらに15分後、またたく間に津波が街ごと人の営みをさらう様相をTVで目の当たりにした。

職場の誰もが会議室のTVの前で絶句していた。

その展開はあまりにも速すぎて、目の前の映像を受け止めるのに極めて苦心した。

というより、本能がそれを受け止めすぎないようにしていたのかもしれない。

東京の両親や妹の安否を確かめるのに結局丸一日を要し、その間にソーシャルメディアの必要性がうんたらかんたらに気づいた。会社が会社だけあってそういうことへ一番の思いを注いだ者も多い。

だが、それ以上に個人的に痛感したのは「映像の向こうの現象への他人事感への恐怖」である。

かつて、阪神大震災が早朝に起きて。午前中に長田から流れる火事の煙を見て。火事のすすが降って。その間に父が人命救助に赴いて亡くなった近所の方を見つけて。

そういった間に流れた時間は一日である。
実に恐怖におびえた長い時間だった。

その間、ラジオは鳴り響き、死者、行方不明者は当然控えめな数字を流し、ろうそくの明かりの中、救急車のサイレンの音を聞きながら余震におびえていた夜を僕は決して忘れはしない。

当時関東の親戚は後日の惨状ほど、ひどい地震だとは思っていなかったという。

それよりも多くの人の印象に残ったのは横倒しになった阪神高速や、フロアのつぶれた三宮のビルだったのだ。やはり人々の心に残るのは、その災害を印象付ける大規模な被害への印象のほうが強いと感じる話だ。

福岡の一日では、3月11日、流れる時間は本当にあっという間だった。

津波の様子も淡々と、まるで映画のようだと形容するほかにないほどに、淡々とTVで放映され続けた。マスコミの本分である報道に対して異議を申す気はさらさらない。ただ、実際に災害を経験した人間の感じる時間と、それを外から見る人間の感じる時間に、これほどまでに相違があるのかと、その事実に衝撃を受けた。

東北の皆さまも、余震におびえ、親族や友人の安否に心砕く夜が続いているだろう。

まして今も孤立し、自身の命に不安を覚える環境ならばなおさらだ。

胸の内に去来する感情はいかにせよ、いまは最大限の貢献、現実的な費用対効果を計算しつくしたリアルな行動が何よりも求められる。

今日も会社はいつも通りの出勤で、被災地を慮った上での自分達の仕事の方向性を決めることに全体が必死だった。

インフラを担う会社の者として、自分もできればその歯車を回す一端になりたい。

なぜならそれは、自分が今の会社に入った動機に繋がるからだ。

就職活動を茶番だと割り切りながら走り抜いたニヒリストの自分にとってくしくもこれは、詭弁ではなくなったのだ。

今は、多くの人の多くの感情、意見が入り混じって自分の本当の気持ちが一番見えにくくなっている時だと思っている。

押し売りの善意に従うこともないし、かといって斜に構えてひねることも無い。

自分の感じて信じられる気持ちに素直に従って、それに責任を持って言葉を選び、動くこと。

これが一人の人間として、大切なことなのだと、この環境でやっと痛感させられた。

この天災の被災者の皆さまには改めて、お祈り申し上げます。