新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

桜島の息吹き

鹿児島に行ってきた。
知覧の武家屋敷と特攻の基地後、指宿に屋久島と、南部の観光は高校の修学旅行時にしていたので、今回は市内と桜島をメインに。

出来たての九州新幹線がマジでイケメンだった。
博多から一時間半で鹿児島へ。
まず何より、気温が温かかった。
まずは市内と桜島を一望できる丘の上の城山公園へ。
通常バスで登れば10分ほどだが敢えて登山道を選択。
西南戦争時に西郷軍が立てこもったこともある山だけあってゆかりの史跡が山中にところどころ散在していた。登ること30分、丘の上から見た景色は想像を絶する雄大さだった。

写真で伝わらないのが残念だが、雄大な桜島を目の前にしつつ、左右に広がる錦江湾。そしてはるか彼方には太平洋が望める。
薩摩の志士が現況を打破し列強と肩を並べる野望を抱いたり、島津氏を中心とした藩全体が海へ海へと思いを馳せたのも無理はないと感じさせられるスケールだった。

下山後、西郷さんの像(鹿児島の顔だけあってとてもきれいに堀が作られていて綺麗な水に鯉が泳いでいた)を経由しつつ桜島フェリーへ。
24時間操業していることに驚く。

島に到着後桜島のタクシーのオッサンが話しかけてきた。5000円で島めぐり観光ツアーをどうだ?という誘いだった。みずほの口座エラーで現金が引き出せない僕は少々渋ったが、オッサンは僕をよそにして島のことを色々語り始めた。
もともと桜島フェリーは島が持っていたもので、桜島自体は鹿児島市の要請で鹿児島市に合併された。だから料金は必ず乗車も下車も桜島で払うようになっており、フェリーの観覧席は常に桜島を向くようになっているそうだ。また、いつ噴火が起きても避難できるよう、フェリーは24時間操業しているという。
また桜島自体は年に1200回ほど噴火しているが、今年は新燃岳噴火以後特にペースが早くなっており、東日本の地震が関係しているかもと話していた。

オッサンには申し訳ないが金が無ければ帰れないため丁重に断るとオッサンはレンタサイクルを紹介してくれた。島は周囲50キロのため一周は無理だと思ったが、いけるところまで行ってみることにした。

島の生活臭のする港から2キロ範囲を超えた時、厳然とした自然のパワーに恐怖を感じることとなった。
道路を挟んで両サイドの視界一面が溶岩の固まった無骨な岩に埋め尽くされており、ところどころにかつての集落の存在を示す石碑や、火山弾が飛んできた際の緊急退避壕が作られていた。何本か過ぎた川には全く水が流れておらず、雨が降った際は火山灰と脆い土壌が流れ出て時速40キロの土石流になって川を下るという。3キロごと位に小さな集落に出る。耕地を耕して桜島大根やみかんを一生懸命作っているおばあちゃんがいた。しかし一方で打ち捨てられた廃屋も散見され、島の暮らしの厳しさや高齢化などの問題が視界に飛び込んできた。

桜島の身震いは何度も人間の生活を踏みにじり、人間は何度もこの島に帰ってきて力強く生きている、そんな事実に触れて胸を打たれた。

ちなみに長渕剛がオールナイトコンサートをやった場所にはモニュメントがある。長渕剛の歌の力強さの原点は桜島にあるから、彼はここでコンサートをやったのだろうか。

その日は結局島の4分の1くらいしか自転車で回れず、引き返した僕はパンパンになった足をマグマ温泉という足湯で癒して鹿児島市内へ戻った。

桜島大根。

市内の天文館という繁華街で飲み屋を見つくろって入店。目当ては黒豚と焼酎。

食彩 九十九

食べログ 食彩 九十九

独り身のためカウンターへ。
おやじさんは名物の黒豚なんこつもちなんという料理を勧めてくれたので、それにせせりのにんにくいためも注文して、焼酎は森伊蔵を。

黒豚はとろけ、焼酎はすきとおったやさしい味がした。
おやじさんによれば、村尾、森伊蔵、魔王(いわゆる3M)といったブランド焼酎は、焼酎ブーム時に県外の人の飲みやすい口あたりでこだわって作ったものであって、地元の者はそうそう飲むもんじゃない、とのこと。それでも観光客のミーハーな自分は全部注文しつつ、おやじさんの勧める屋久島産「三岳」も味わった。
僕がネットカフェに泊まることを話すとおやじさんや店の人がやたらと心配して近所のホテルに電話をかけまくってくれたがどこも満室。本当にいい人ばかりで心暖まった。

ネットカフェで一夜を明かし、おやじさんおすすめの仙巌園(篤姫こと天璋院ゆかりの名勝)と桜島の飛び入りバスツアーへの参加を決める。
仙巌園自体は桜島を望む美しい庭園が売りなのだが、あいにくの雨天で景色は堪能できず。それでも広く美しい園内は満喫できた。

昼食は港の食堂で黒豚ロースカツを。さつまいもが飼料だからやわらかい・・・とか。

午後は桜島へ再び渡り、一日二回敢行されるバスツアーへ。徒歩やチャリでは到底いけない道を登り展望台へ。バスガイドさんによれば溶岩流を伴う規模の大きな噴火は計測されてから5回ほどおきており、行政は「問題ない」と判断していたものの規模を超える溶岩流が集落ごと押し流したということもあったという。


それでも住民な何度も島へ戻り、墓を建てて再び新しい集落を作り生きている。
鹿児島の墓は必ず屋根のついた小屋に入っている。生花に火山灰がついて翌日取り替えるまでにしおれないようにするためだという。ちなみに鹿児島には365日墓参りをする習慣があり、花の消費量は全国一位の座を守り続けているという。

自然の脅威とそれへの畏怖、くじけない人間の力強さ、島の人の温かさ、色々なものを噛みしめながら鹿児島ラーメン「豚とろ」を天文館で食べて

行きとは違う新幹線に乗って帰った。

九州で一番心に残ったのは今のところ、桜島。