新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

タートルネックセーターこそがジャスティス

LINE公式アカウントに話し掛けまくった結果普通の友達との会話履歴を探せずに困っています。どうも僕です。

突然ですが、目標1週間から10日に1回「今週のリビドー」というコーナーをやってみたいと思います。
その週に見かけた「あら、いいですね」を赤裸々に吐露するコーナー。今週のお題は「タートルネックセーター」。

いやいやいや、タートルネックセーターなんて今まで語りつくしてきたでしょうと。要するにyassuiは巨乳が強調される服が好きなんだろ、この腐れ変態が!
そう思われる方もいらっしゃることだろう。


enough。実にenoughな意見だ。しかしそれはあくまで一面に過ぎない。人間の感覚を語る上でPerfectはあり得ない。しかし、多様な見方、そして一定の支持者を見込める見方を複数そろえたとき、それはenoughからgood enoughになるんだ。そう、女の子の着るタートルネックセーターに関する議論もね。



本題に入ろう。
大学二年生(20歳)のころから、女の子の秋冬のタートルネックに関して一家言有していた僕だが、完全に前のめりがちになっていたことが否めない。どうしても「胸が大きく見えるから」そこに議論が帰着しがちだったのだ。

しかし、大崎〜品川間の山手線の中で僕は考えた。


「何年たってもタートルネックセーターは魅力的だ。胸だけが理由なはずがないんだ。別に胸の大きい女性がタートルネックを着ていることがblissなんじゃない。女性がタートルネックを着ているという現象があまねく、平等にblissなんだ」

そして品川〜田町間で僕はその仮説を証明するためのポイントを3つ挙げた。あくまで独断と偏見に満ちているが展開させていただく。

1.縦にラインが入った服が絶妙な曲線を描くから
別にコントラストの相対的な大きさの問題ではないのだ。縦に規則正しく編みこまれたタートルネックセーターを女性が着ることで、服自体が曲線を描く。セーター自体に柄もなく、シンプルな一色構成だからこそ、無機質な直線が微妙に乱されているという事実こそが、それを見たものの心に波紋を投げかける。

2.知性を垣間見せるから
タートルネックセーターには理性と知性がある。これは僕の持論なのだが、肌というものは情熱と欲望だ。7つの大罪のうちの肉欲を感じさせるのは人間の肉であり、肌である。
それを究極にさらけ出すのは夏のザックリあいたタンクトップだったりπスラッシュのTシャツだったりするだろう。しかし。しかしだ。
タートルネックセーターは肌を出すどころか極限まで、男のやる気スイッチを押してやまないうなじや鎖骨までをも隠すおくゆかしさであり、知性を感じさせる存在なのである。
隠している!!!なのに主張している!!!その二律背反が見るもののうちゅうのほうそくをみだすのだ。

3.温かさを感じさせるから
これはタートルネックに限らず、セーター全般の話だが。やっぱり、全ての男はきっと死ぬまで温かいところを探してるんじゃないでしょうか。それが彼女かもしれないし、家庭かもしれないし、ある人のある人生のある場合によっては愛人かもしれないよ。
なんだかんだ行っても最後は、女性に求めるものは温かさなんだと思う。最後は、男は女に存在を許容してもらって受け止めてもらうことに喜びを感じるんじゃないでしょうかね。
そんな男にはやはり、寒さ厳しい冬というシーズンに、温かい印象を持つタートルネックセーター×女性というコラボレーションはこうかはばつぐんなはずなのだ。


おわかりいただけただろうか。
ほかにもタートルネックセーターが正義という話は語りつくしたいところではあるのだが、それをすると明日会社にいけなくなるので、同胞がもしいれば機会を作って語り明かしたいと思う。

あー、人間って、おもしれ。