新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

インドで僕も考えた〜総括〜

ということで、早くも2ヶ月が経とうとしているインド旅行について振り返ってみたいと思います。

「要するに下痢してかえってきたんでしょ?」

その指摘に関しては何も言い返すことができない。
ただ一つ言える事は

「もう一度ケツの穴が切れても、また行きたくなる国です」

とただそれだけである。
「インドは、一度行くと病みつきになって何度でも行きたくなる人ともう二度と行きたくなくなる人に二分される」

というが、間違いなく前者(とはいえヒッピーライフを送りたくなるくらいインドに耽溺したわけではないので、前者の中でもにわかポジションだろうが)にポジショニングすることになったのである。

そもそも、インドの魅力とはなんだったんだろうか?
文字に書き起こせない感情は腐るほどある。ただ書き起こせる部分だけでも、記憶が消え去る前に少し残しておきたいと思う。
あくまで個人的な雑感のため人によっては偏見的、かつ視野狭窄的に見える部分もあると思うがそこは勘弁願いたい。


1.食欲と物欲より興味と好奇心の国
一般的な海外旅行へいくマインドとはなんだろうか。
多くは

「非日常の堪能」

だろうと思う。
だけど人によって千差万別に堪能したい濃度が違って、
斜陽気味とはいえやはり世界有数の経済国である日本の民としての財力を用いて、

「その国の光である観光地を巡り、ウマいものを食べ、ともに行く友人や家族、恋人とSweetなEmotioinを刻みつけ思い出に残す」
ということを海外旅行に期待したいのがジャパーニーのコモンセンス、ないしはトレンド、高い金を出して海を渡る基本的動機なのではなかろうか。

僕も海外旅行といえば上記のようなイメージでいたが、実際のインド旅行はその類の旅行の真逆を行くストイックさと異質性を兼ね備えていた。

まず飯はそこまでうまくない。確かに日本の8分の1くらいのお金で飯を食うことが可能だ。
だがインドカレーもびっくりして「さすが本場!!」と叫ぶほどうまいものだらけということも
ないし、何よりメシにありつくことが大変すぎてその苦しみの反動でうまいと感じるというレベルのものである。

さらには買う物にも困る。基本的に食品は持ち帰って喜ばれるものがそうそう無い。
かといって手工芸品もたいていは出来にムラのあるインドクオリティ。
免税店でブランド品を買おうというような先進国的思考は初日で放棄されるに違いない。(そもそもそういう人はインドを選ばないだろうが)

要するに、物欲、食欲(あといちおう性欲も。インドは基本的にそういった産業は無い。基本的に。)といった人間の普遍的欲求を満たすことはできない国だと思う。

ただその代わりに何があるかというと圧倒的なワクワク感だ。
中国でもイタリアでもそれはもちろんあった。

ホテルの裏の路地の奥には何があるんだろう?
この店で売っている物はなんでこんなに現地人に人気なんだ?

そういった日本の見慣れた通勤経路と生活圏では決して満たすことの出来ない非日常を満たすことが出来るのが海外旅行なのだが、そのレベルがインドでは群を抜いているように思われた。

「なぜ1メートルほどの幅の道に牛が寝そべっている?」
「あきらかに伝染病に冒されている死にそうな犬が3匹くらいうろついている?」
「なぜ首都の道端の水道でほぼ全裸になって水浴びしている?隣でその水でチャイを沸かして売っている?さらにその隣で散髪屋や髭剃り屋が開業している?」
「なぜトイレに紙が無く、手桶と蛇口しかなく、かつ個室に排泄物が飛び散りまくっている?」

「だいたい期待されうるものがそこにある」国日本においては決してあり得ないことがバシバシ起こり、かつそれが現地の人々のスタンダードということに対して、圧倒的な好奇心と知識欲の渇望がおきた。

長く住みでもすればそれが常識になってしまうのかもしれないが、この異質性は劇薬といっても差し支えない強烈さだった。


2.遠慮がないコミュケーション
インド人と旅行者に生じるコミュニケーションのうち必須のものは購買行為である。
「このインドシルク綺麗だろ?2000円でどうだ?」
「このバナナは1房800円だ」
「このシャツか、イカしたデザインだろ?3000円でどうだ?(ボロボロのワークシャツ)」

たいていこれがの全てが5分の1〜20分の1で買えるものばかりだ。
値切りに値切り、さらに一度買えるふりをすれば価格はみるみる下がっていく。
(値切った後でも現地人よりは高い金額だろうが)

おそらくその人自身の感覚で、「このものを買うにはこれくらいの対価だな」
と納得して買った金額がその品物の定価になる。
インド人はそこらへんの感覚があるのかどうかは知らないが、どの金額で買い物をしてもたいてい同じ態度だ。

「お前が納得してるんだからそれでいいだろ」

という感じ。
そしてサービスという概念もおそらくは無い。買い手も売り手も対等な立場である。
「それにしてもお前のカメラいいな、それで俺を撮れ」
「なにか日本製のものをもってないのか?それをくれたら考えてもいいぜ」
仕事そっちのけで別の要求をやたらとしてきて、それを満たすとどれだけ値切ったあとでも、そもそもその店で品を買わなくてもやたらと上機嫌になる。

相手は単純に思い込みと見た目で判断した感想しか話してこないし、こちらもそれに答えればいい。そのコミュニケーションが最高に気持ちいいのだ。


3.素手のキャッチボール
前項でも述べたが、インド人のコミュニケーションは基本的に全て直球だ。
変化球はないし、下心があってもそれを隠してへんな要求をしてくることもない。
ただひたすらに食欲、性欲、経済欲を自分の立場で出来る範囲で追い求めていた。

また、人や命に対する慈しみも強いように感じられた。
一部のインド人は(主にバラナシの宿の人々だが)僕が結構熱心に僕のことを気遣って言葉をかけてくれたし、交通事故等で死んだ野生動物(猿や牛など)が路傍に綺麗な布を敷き、花を備え香をたいて弔われていたり。
最初は詐欺が意図で話かけてきたんだろうなという兄ちゃんも思わぬ場所で再開して、それが純粋な興味と親切心だったことを知ったり。

そういった直球的な一部善意に対してはとにかく好感がもてた。
ただ大半は詐欺狙いなので警戒するに越したことは無いが。
日本で歩いているとそういった路上での急なコミュニケーションは新興宗教の勧誘か歌舞伎町のキャッチくらいだが、そういったものとは明らかに違う要素がインドの路上にたくさん転がっていた。今となってはそう思う。

他にもインドの魅力はたくさんある。
子供がとにかく街にたくさん溢れている、とか信仰が息づいている、とかいろいろあるのだが、僕にとって一番ストライクゾーンにはまったのは

「やっぱり人間がおもしろいんじゃないかな、インドは」



「・・・(だまれ下痢野郎。経口補水液でも飲んでろ)」


インドのコルカタから成田へ帰り、東京までバスに乗って山手線に乗ったときの寂寞感はすごかった。


「なんでみんなこんなに疲れた顔してるの?悲しそうなの?みんな年老いてるの?」

よい悪いのはなしでもなんでもない。ただ、インドの熱っぽい空気や人間の泥臭さが忘れられないんだ。