電話をすることは人に寄りかかる、ということではなかろうか
月曜日ですね。
どうも僕です。
上智新聞時代の友達で今は兵庫で記者をやっているS木からさっき電話がかかってきた。
S「俺、結婚することになったわ」
僕「お、おう」
それ自体は別に特段驚くことではなかった。
学生時代こそ華やかな大学生の暗黒面のようなイカ臭い半地下生活をしていた僕たちだったが、昨年末くらいから、彼に恋人ができたという話をちょくちょく電話で聞いていたので、最近結婚話を週に3回は聞いているような気がする僕にとっては寝耳に水ということもなく、ただ素直に
「おめでとう」
というくらいだった。
それは普通にめでたいことなのでそれでいい。
その後のくだりが面白かったので記録しておく。
S「お前、もっと俺に電話しろよ」
僕「なんでだよ。俺、電話に関係する仕事してる割に人に電話するのすごく苦手なんだよ」
僕は電話が苦手だ。
電話するということは人の時間を奪う、人の心に土足で踏み込むことのような気がしてなんだか胸が痛むのである。
仕事の電話は別である。自分の仕事が遅れることでたくさんの関係者に迷惑がかかるので催促の電話も、メールがあいまいだったときの詳細確認電話もする。
それでも電話をかけるときにはやはり逡巡する。
まあそれは仕事の話。個人の話になってくると別に僕が電話をかけなかったからといって誰が困るわけでもないので、自分から電話をかけるのは1ヶ月に2.3回程度。無料通話分を超過することはめったに無いといったありさまである。
S「そりゃおまえ、電話は自分が話したいときに相手に出てもらって話をするもんだろ。そして話したいことを話したい相手に話してすっきりする。でもそうすると電話されたほうは、この前はあいつの話を聞いてやったんだから俺も話そうって、そう思えるからさ、そうすることで深い関係になれるんじゃないのか?誰かに上手に寄りかかれる人間は寄りかかってもらえるし、上手に甘えられる人間は甘えてもらえる、そうじゃないのか?」
正論、実に正論だった。
僕は相手の心にもぐりこむことができないから、誰も僕の心に潜り込んでこない。
まさにそれだけのことだった。
一度潜り込もうとして拒絶される恐怖のあまり、ずっと部屋に引きこもっている状態である。
僕は比較的、言いたいことがあっても誰かに会いたくても寂しいことがあっても一人で静かに我慢することができる。
だがそれは裏返せば「誰の心にも上手に頼る勇気がないから、誰にも個人的に頼られない」ということに気づいてしまったのである。
「何を考えているのかよくわからない」「何が欲しいのかよくわからない」「本当は誰ともつながりたくないんじゃないの?」
どれも僕が少し不器用に踏みこみかけようとしていただいたフィードバックである。
僕の臆病さが他の誰かを落胆、失望させたことってたくさんあったのかなと、そう自省してみたりする。
「電話一つで考えすぎだろ」
それもその通りなんだけど、S木はそんな臆病な僕を見かねて「電話しろよ」と声をかけたのではないかと、そんなことも考えてしまう。
これ以上つらつら並べるとメンヘラの道へ突き進みそうなので、今年の目標として
「ちゃんと電話できる男」
になろうと思います。なんだそりゃ!