新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

寄稿第三弾〜カジ〜

どうも僕です。

寄稿第三弾は大学の野球サークルのキャプテン、カジ。

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彼との関係も大学入学以来なのではや9年近い。

普段は冗長に語ることもなく、口を開けば互いに言葉上でけなし合いながらどこか尊敬している、そんな空気感で接することができる友人である。

また早くからこのブログの内容に対して着目をしてくれており、1読者としても時に感想をくれる稀有な存在である。

ちなみに7月12日をもって無事このブログも11年を迎え、今のところいただいた寄稿シリーズもこれが最後である。まだ募集は続けておりますので、筆を取っていただける方がいれば、よしなに。

それでは、寄稿文をば。

 

「不死鳥、復活」

 

度重なる故障とリハビリを乗り越え、その男は神宮球場のマウンドに帰ってきた。

814日ぶりの登板は毎回走者を許す苦しい展開。7安打5四死球。99球で5回を投げ切れなかった。

入団2年目の2004年に右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、2軍でもマウンドに立てずにシーズン終了。 2005年、前年の手術のリハビリの末、4月に1軍登録されると1年間ローテンションを守りシーズン10勝でチームに貢献。しかしながらシーズン終了後には右手薬指と小指の感覚が鈍いという理由で11月に右肘の再手術を受ける。

2006年、2007年と大きな怪我はしなかったものの先発投手としては結果が残せず、中継ぎや抑えとしてチームに貢献。 そして翌年、男は覚醒する。

2008年、12勝を挙げ最優秀防御率のタイトルを受賞。

2009年、昨年度から続いていた連勝記録を14に伸ばすなど、16勝を挙げ最多勝のタイトルを受賞。「負けない男、館山」と言われるほどのチームのエースに成長。

2010年、故障により1年間ローテーションは守りきれなかったものの12勝を挙げる。 2011年もチームのエースとして躍動。防御率は自己最高となる2.04を記録し完投・完封もリーグトップを記録。この年のシーズンオフに右手血行障害の手術を受けた。

2012年、チームトップとなる防御率2.25、12勝の好成績を記録。更に3.4月と9月の月間MVPを選ばれる。 5年連続2ケタ勝利をマークし、球界のエースに成長した館山昌平。しかしその裏で、彼の右肘は・・・。

2013年、数試合に先発するも、肘の痛みを訴え降板。右肘靭帯の再断裂が確認されたため、二度目の右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受け、シーズンをすべて棒に振ってしまった。また、6月には今オフの予定だった股関節の関節唇損傷の修復手術を前倒しで受け。手術とリハビリの年となった。

手術とリハビリ。結果を残さなければ即クビという厳しいプロの世界ではどれだけ実績のある選手でも先の見えない不安の日々である。もうダメかもしれない・・・。心が折れそうな時も何度もあっただろう。その中でも「いつか復活する」という強靭 なメンタルでリハビリに励む館山と、「館山はまた復活してくれる」と信じて待つファン。誰もが一日も早い復活を望んでいた。

そして2014年。 リハビリ生活を終え、一軍キャンプスタート。初日から順調な仕上がりを見せていた。誰もが館山の復活を信じてやまなかった。そんな矢先・・・。 2月25日の練習試合では12球で緊急降板。その後二軍で調整を行っていたが、4月5日の巨人戦に登板した際も1球で緊急降板。検査の結果、右肘外側滑膜ひだ切除手術を行うことになった。この時同時に三度目の右肘の内側側幅靱帯再建(トミー・ジョン手術)と右前腕の屈筋腱縫合手術も受けた。その結果実戦復帰まで約1年かかる見通しと診断され、長期離脱がさらに延長されることとなってしまった。

さすがにもうダメかもしれない。館山の復帰は絶望的か・・・。そんなことを言う人もいた。 三度も「トミー・ジョン手術」を受けて復活した投手はまずいない。さらに、その間には血行障害も患う。全身151針。 それども館山は自分の復活を信じて、黙々とリハビリに励んでいた。

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笑えないギャグセンスを持つ館山投手。 トミー・ジョン手術Tシャツを作成し、投手陣にプレゼントした。 力こぶをつくっている腕の肘に注目すると、手術経験がある選手には縫い跡があり、経験がない選手は縫い跡がない。しかも左胸の★マークは手術の回数。館山には★3個、左腕の江村は ★2個…。「いいでしょ、これ」と館山。 辛さも笑顔に変え、縫い跡を勲章に変える気持ちの強さが表れている。

2015年

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強靭な精神力でリハビリに耐え、先の見えない日々に苦しんだ男がマウンドに帰ってきた。1軍復帰を目指し、2軍戦で少しずつ投球数を増やしていった。4月29日の実戦復帰1戦目で最速148km/hのストレートをマークするなど順調に調整してきた。

館山の復帰登板の知らせを聞いた石川雅規は「本当に苦しいリハビリを頑張ってきた姿を見ているから、148km/hが出たと聞いても驚かない。僕は彼がいたからここまで頑張れてきた。館山がいなくなってからはずっとポッカリ穴があいている感じ。早く一緒に1軍でやりたい。」  

この石川の発言を聞くだけで涙が止まらなくなるのだが、一方の館山は石川についてかつて、「石川が左のエース、館山が右のエースと呼ばれる事が多いが、本来エースは1人でいいわけで、エースは石川さんです」と発言しており、この謙虚な姿勢には号泣せざるを得ない。

そしてついにこの日がやってきた。6月28日。 神宮球場に集まったファンの視線の先に、館山がいた。 球場にいる全員が彼の一挙手一投足に引き付けられた。仕事に、勉強に、人間関係に、誰もが不安や悩みを抱え、ままならない人生を生きる。でも、こんな世界にも希望はある。確かにある。現実は自分が思っているよりもよっぽど残酷だ。だから・・・強くなれ。諦めずに這い上がれ。そしたら必ずいいことがある。それを館山が証明してくれたのだ。

結果は全盛期のようにはならなかったけど、そういうことじゃない。また痛くなるかもしれない、次手術したら終わりという恐怖だってあるに違いない。でも、表情を変えずに全力でチームのため、ファンのために腕を振りぬく。その姿勢が素敵なのだ。

そして今日、7月11日。 復帰2戦目。6回1安打1失点で2012年以来1019日ぶりの勝利。

館山「いやー、長かったですね。本当にすみません、遅くなりました!前回5回途中で降りてしまったんですけど、怪我なく無事にマウンドを降りることができましたし、今日は勝負に徹して、チームの勝利に、先に点を取られてしまったんですけど、何とかチームの逆転を信じて、結果的に勝つことができました。僕としては復活できたというのもありますけど、とにかく今シーズンの優勝、そのために一生懸命、腕を振っていきたいです。今日も緑の満員のスタンドを見ても思うんですけど、チーム一丸、ファン一丸となって、一戦一戦を戦っていますので、本当に心強いです。1019日ですか、長い間離れることになりましたが、何度手術しても、皆さんがいればこうやって戻ってくることができるんです。この声援を受けて、しっかり選手みんな戦っていますので、もっと大きな声援を明日からまた、よろしくお願いします! 投げる試合は全部勝つつもりで、頑張っていきたいと思います」

入団13年目。幾度の手術を経験し、リハビリ生活を乗り越えてきた不死鳥の力が、ヤクルトの優勝には欠かせない。

最後に、館山と石川が1年でも長く燕軍戦士でいられますように。

時の軌跡が13年目だと思って13年目の館山と掛けてみようと思ったら11年目でいやがんのな。でもまあ2008・9年あたりが盛り上がり始めって点では館山と一緒じゃん? おれはあの頃の記事が好きだなー。うん子、ちん子、おっぱいとかしか言ってない時期のログがさ。最近の旅とか、仕事とか、メシのネタも好きだけどさ。ってか、俺より神宮行ってるんだからもっとヤクルト戦を取り上げろよ!そんなわけでこれからも楽しい記事期待しています。

彼は言動も行動もドライな様に見えるが、内に結構な炎を宿しているところがある。

他人に自分の気持ちを強くアピールしたりすることがないのだがその分自分と向きあえる強さを持つのが彼であり、だからこそ館山の奮闘を表現する言葉の「熱」を率直に感じさせてもらいましたことよ。

石川「僕は館山がいたからここまで頑張れてきた」 : ヤク中@東京ヤクルトスワローズまとめ

ちなみに館山復活勝利の前日、僕も神宮へ行っており、石川がヒーローだったの。

お立ち台では「館山を勝たせる流れを作りたい、またローテーションを一緒に組み続けたい」というところを終始強調しており、胸を熱くさせられたものである。

 

08年あたり、つまりは僕の股間の盛り上がり具合と、文章を記すことへの一定の習熟、そして潤沢な時間とルサンチマンの揃ったころが一つのピークという指摘については実にAgreeである。

 

まあひげの話にもあったけど、今の記事の傾向として対現実的事象に対する1次的な反応の表現に終始してしまっているわけであって、もう少し深堀りした熱い感情表現を思い出さなくてはいけないと

(例えば、「パンティライン=やる気スイッチ」という単純な表現ではなく、パンティラインが起こす僕の感情の中の波の正体は原体験なのか、何かの想起なのか、はたまた神の啓示なのか反証を繰り返すような営みである)

いけないと思い出しましたことよ。

 

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