新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

烈震

フジテレビの土曜プレミアム神戸新聞の7日間〜命と向き合った被災記者たちの闘い〜」を見た。



阪神淡路大震災直後、被災地はライフラインが全て寸断され、いつまで辛抱すれば、生存の不安から逃れられるのか、それを知りたくて人々は情報を欲していた。

寒風吹きすさぶ一月。灰塵と化した神戸の街に着の身着のまま放り出された人々のために、記者たちは新聞発行のために奔走する。





このドラマは今まで見た震災の記録映像やドラマの中でも、15年という月日の上に立つ作品としてふさわしいものだったと感じた。





それを一番印象付けたのは、写真部の記者である主人公の三津山が、嘆き苦しむ被災者にカメラを向けることをためらい、写真が撮れなくなるシーンだった。

被災地で三津山は、燃える我が家をただ眺めるしかない人々や、懸命に瓦礫の中から血塗れの子供を救出する家族、遺体が一面に並べられた小学校の体育館で、母親の遺体にすがってむせび泣く子供たちなどを前にカメラを向けることをためらい、写真が撮れなくなってしまう。

それはシャッターを切ることが被災者の心を傷つけるのではないかという恐怖によるものだった。





一方写真部の先輩にあたる金居は、現場に出ずっぱりで写真をひたすらに撮り続けた。

その日も金居は、焼け野原で灰になった母親の遺骨をかき集める少年をフィルムに収めるなど、被災者の生の記録をがむしゃらに撮り続けて本社に帰ってきていた。



休もうとせず再び現場に出る金居を部長が止めようとするも、金居はそれを押し切るが、そこに三津山が突っかかる。





三津山「地元の、神戸の人々が苦しんだり泣いたりしている姿を撮ってどうするんですか!こんなことをしても、人の心を傷つけるだけでしょう!!」





金居「ろくな写真も撮れないお前に何がわかる!これだけの惨劇も5年、10年すればみんな簡単に忘れちまうんだよ!今この瞬間を収めておかなかったら、もうこれはなかったことになっちまうんだ!だから今記録することが、俺たちの仕事だろうが!!」





震災という非常時に関わらず、金居は報道という仕事に従事する人間の本懐を貫き仕事を続けていた。

誰もが家族の、友人の、恋人の安否を案じていた。

それでも現場に向かったのは、自分が今すべきことを強く信じていたからだった。







15年経った今、震災を伝えるものは何だろう?

僕は震度7とか、6434人の犠牲者という数字ではなく、震災当時の人々の心の残像をとどめる写真や、生の言葉だと今回のドラマを見て強く思った。

倒れた阪神高速道路、一階層まるごと潰れた西市民病院。被害を伝える写真は多くあるが、人間の心に突き刺さるのは人間の写真であり、人間の言葉だ。





「理解できるが、やりきれない」

倒壊した家の下敷きになった父親の生存確認を後回しにされ、今まで被災者の気持ちをわかっていないままに報道に携わっていた自分を悔いた論説委員が書いた社説もまた、印象的だった。





当時何も出来なかった僕が語れることはそう多くはないのかもしれないが、それでも何かしら一年に一度はあの日を思い出して伝えたい。

人間が人間らしい生の言葉で伝えていかなくては、全ての出来事は風化してしまうからだ。



作品中に子供たちが発した



「ありがとう」



の言葉。

給水車で水を運んできてくれた自衛隊の人に、ありがとう。学校の給食室で炊き出しを作って配ってくれたおばちゃんたちに、ありがとう。大阪から姫路、全国から救援物資を送ってくれた人たちにありがとう。



人々は過酷な現実に押しつぶされそうになりながらもそれに直面し、神戸弁のイントネーションを含んだ感謝の言葉で互いをいたわりながら生きていた。

そんな記憶が、僕の脳裏にふと、蘇った。



ちなみに明日はNHKで夜「その街の子ども」というドラマがやるそうだ。