新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

東京タワーと東京スカイツリー

今日は職場で黙祷しました。

どうも僕です。

ちょうど2年前の年明けに父親と一緒に建造中のスカイツリーを見てきたのだけれど
http://d.hatena.ne.jp/yassui0149/20110115/1295102374
あのスカイツリーも完成し近代的な明かりを下町に放ってますね。

去年話題作りにと登ってみた。登るまでの内装等の絢爛さはさることながら、展望台からその景色はすばらしく、確かに息を飲みましたよ。


しかし、だがしかしですよ。
東京タワーの放つ存在感には、どうしても追いつくことができないものがある、と最近ひしひしと感じております。

芝公園から臨む)

まず、周りに位置している建造物や風景が違うと思う。

六本木ヒルズの煌々とした明かりを目の当たりにし


外苑の森や赤坂、果ては新宿までを見渡し


海側を見ればレインボーブリッジまで。豪華、ハンパねえ豪華。首都の富と文明開化の歴史を真下に置ける全能感著しい。

スカイツリーも確かに隅田川とか、ほんのりと浅草とか見えたものの一番明るかったのは


錦糸町駅周辺」


いくらテルミナがマブハイとはいえ、ちょっと一番目立つには悲しいスポットではなかろうか。

あと、こればかりはどうしようも無いけれど、スカイツリーには東京人にとってのアイデンティティとしての浸透度がまだ足りない。


毎日残業して、喫煙室から眺める東京タワー。オフィスビルの通用口から出て、ひんやりとした夜風に吹かれながら眺める東京タワー。その赤い鉄塔は、苦しいときも間延びした気分のときも、大きい仕事を成し遂げたときもいつも温かい光を放ちながら立ち続けている。
宗教には縁遠い人間だが、東京タワー自体が、この世知辛い街で食い扶持を得ているサラリーマンたちのシンボルなんだと、その一員になって3年、つくづく思う。


そういう人間の思いが詰まっていて、その思いをくすぐれる場所だからこそ、いろいろなドラマや小説、映画などのシーンにも登場することも多いのだろう。
さらにそういうものを作るメディアの人間だって、どこのテレビ局や広告代理店や制作会社で働いている人間かわからんが東京タワーになんらかの思い入れ(時にゆがんだ屈折がある場合も含め)があるロケーションの人間が多いだろうから、3丁目の夕日的な高度経済成長期ロマン的なものもあいまってないまぜ的にそういったシーンが多くなっている、というスパイラルになっているのではないだろうか。


最後は面倒くさくなっていろいろ詰め込んだが、
いずれ東京スカイツリーも、その下で育った子供たちがその歴史を胸に秘め、ともに生きるようになれば今とは違った色に輝き始めるのかもしれない。


そのころには僕は死んでしまっているかもしれないけどね。



2013年も4分の1終わりそうってしってた!?