新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

デザインは問題解決、アートは問題提起

こんばんは。どうも僕です。
6月。

いや、もう6月。

このまま仕事に全力を注いでいればあっという間に今年も終わり、来年も終わり気づけば30になっている。きっとそんなはず。

いささか感情的になってしまった。

掲題の言葉「デザインは問題解決、アートは問題提起」

この言葉、どなたかの受け売りなんだけどね。

でも最近すごく共感中。

多くのサラリーマンが日々の仕事で求められるものは効率性なのではないかと思う。

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たとえば

「A社ではこんな商品を売って最大利益を上げたい。そのためには営業はほにゃららな勧め方をし、宣伝部はほにゃららなストーリーに沿った広告をうち、サービス開発部は最大利益の上がる市場に向けた機能開発を行っていく」

こういった壮大な計画が立てられ、多くの人々が一つの目標に向かい仕事をし、日次進捗、週次進捗、月次進捗としっかりと売上、業務管理をし、それぞれも部署で目標を達成していく。
綺麗。美しい。実にロジカル。フリーメイソンの神殿建築家説に相通じるところがある。

でも市場は生き物で時に残酷で、それでも成績が上がらない場合がある。
それは至極当然な理由で、お客様のニーズを満たせていないときだと思う。
でもあまりにもしっかりとした計画を立てると、時にそれを崩すのがおっくうで、それを達成すること事態が目的になってしまうことってあるのではなかろうか?
高校野球やってたとき監督に「練習のための練習してもしょうがないやろ、目的達成するための練習しなくては」と言われたことを思い出す。

部活ならまだいいけど、そのプロモーションなり営みをお客様に判断される場合、時に販売結果なり費用対効果に暗雲をもたらすと思う。
まあお客様から見たらこういうことだと思うんだ。

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない」
http://midori.so/blog-kiyota/2013/05/09/kiyo04/


一般的に、多くのサラリーマンはデザイナーだと思う。
企業が目指す販売目標なり理想像に対して、大なり小なり貢献していく。
だけどそれだけでは「おもしろくない」

一方でそんな「おもしろくない」時代や既存の枠組みへアンチテーゼを唱える存在としてアーティストが存在する。

つい最近話題になったXia Xiaowan
https://www.google.co.jp/search?q=Xia+Xiaowan&safe=off&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=Vdu1UefuHciekwWL6YGICA&ved=0CCwQsAQ&biw=1366&bih=604

Chim↑Pom
http://chimpom.jp/

方力鈞
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3&safe=off&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=4-S1UZaKCMW8kQWz2YEg&ved=0CAcQ_AUoAQ&biw=1366&bih=643

僕は現代アートに対して堪能ではないので有名アーティストを挙げることはできないけれど、上記の人々の作品を見たとき、決して言葉で十二分に表現することができない心のうずきを感じるのではないだろうか。

それはきっと、今完璧に構築されているロジックとか、倫理とか、常識に押さえ込まれている本能がほんの少し顔を出したときの快感なんだろう。

そいつらを適度に開放するコンテンツがあったとき、人は喜び、幸せを感じ、それに対して対価であるお金を払うのではないかと思う。

もちろんアーティストだらけではいけない。
ただ社内専門のデザイナーだらけでもいけないような気がする。

人々の生活に結びつく経済活動、マーケティング、プロモーションがアーティストとデザイナーのバランスを兼ね備えたとき、もっと心が躍るような毎日が築けるような、そんな気がする。