会議での沈黙は金なのか
梅雨なのにあまり雨が降らないな。。。と思ったらようやくちょっと降った。
6月も3分の1終わったし、あっという間に夏がくるんだろうな。
どうも僕です。
会議に出席するからには、何かを発言せねばそこにいる意味がない!
そう思っていた時期が、僕にもありました。
会社における会議ってざっくりと分けて2つあることに恥ずかしながら社会人生活4年目にして、自覚し始めたのである。
その1.情報共有、報告会
自分の持っている仕事の進捗具合、そこで困ったときの相談事、今後の予定の確認など、すでにレールに乗って走り出している仕事が順調に走っているかを確認する会議。
となりの人はなにする人ぞ、ではなくチームとしてどんな風に仕事が回っているかを把握することは大切だ。
その2.新しい仕事を生むための会議
なにか新しい販売施策を企画するのか、今回っている仕事を根本から改善する施策を企画するのか。生みの苦しみとはよく言うが、新しい付加価値を生むためには、それ相応の議論を尽くさねばならないときがある。
その2に関しては、みんな雲を掴むところから始まるので、そもそもどのような形の雲なのか?それをどのように掴むのか?その雲を掴むことでどのようなメリットがあるのか?さまざまな視点から喧々諤々、言いたいだけ言い尽くすことが望ましいと思う。
世に言う、ブレインストーミングなるものだ。
しかし生みの苦しみもさることながら、順調に仕事を走らせるための会議を順調に進めることもまた、難しいところである。
当然ながら、すべてが順調に行く仕事ばかりではない。淡々と情報共有をしているところでも、つまづいているところや問題を洗い出さなくてはならないタイミングがある。
しかし、本来情報共有会であってもそこでその2のような議論フェイズになるとどうしても論点がそこに集中してしまい、全ての仕事をその会で洗い出せなかったりする。
みな自分の子供がかわいいのと同様に、自分の仕事はかわいいものなのだと思う(と26歳独身が語ると説得力が無いと思うが)。だからどうしても、情報共有の場でも
「あのね、この案件ではこんなことがあってね、こうなのよ!」
と時に語りすぎ、時に批判に近いアドバイスをされたりすると
「いやいやいや、これにはね、こういう理由があってね、そんな風に簡単にいかないわけよ!!」
と必要以上に熱くなってしまい一気に真剣20代しゃべり場を開いてしまったりするのだ(往々にして僕にもあったケースなのだが)
そもそもは自分が発言すべき場なのか、全体の時間の中でどれくらいの時間をもらって発言すべきなのか、時にツッコミを入れたくなるときでも今はそのタイミングなのか。
空気を読みすぎるのはよくない、しっかり主張をすべきだとよく言われるが、その主張も一発ぶっぱなすタイミングを研ぎ澄ましての一発であることが肝要だと思う。
だから、徹頭徹尾沈黙でもいけないが、沈黙は時に金なのだと、最近じわじわ感じるのであります。