新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

7日間ブックカバーチャレンジ「人間失格」

どうも僕です。
最後に言葉を綴ってから2年あまりが経ち、脳のキレも落ち、仕事以外で脳をうごかすこともめっきりと減り、ただいっさいが過ぎていっているような今日このごろ。
Facebookで妹から7日間ブックカバーチャレンジなるものを受け取ったため久しぶりに本棚を漁ってみたものの、転居時にほとんどの本を売り払ってしまったため、「これは手放せないな」という何やら内容の重い本しか残っていない。
かつどれもしばらく読んでいないため、リハビリとして少しずつ読みながら進めていきたいと思う。 
 
【人間失格 太宰治】

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きっと皆何かの機会で読んだことがある一冊。大好きになれないが、捨てられない本。力強い「走れメロス」、既成の価値観を逆転させようという想いの伝わる「斜陽」と違い人間失格は太宰治の自己の主観的事実を吐露した小説で、ひたすらに堕ちていく人生が淡々と語られる中、一定の間隔で深海に足を引きずり込まれるような感覚に襲われる。

自己肯定感の欠如した作者が表現する「人間失格」な主人公がどこかで読者と重なる瞬間がそれだと思う。

 

2つ印象に残ったシーンを。。

幼少期に巧妙な道化を演じ周囲を笑わせることでのみ関係性を持ててていた主人公が「ワザ、ワザ」と同級の劣等生に演技であることを見抜かれたシーン。背筋が寒くなった人はいないだろうか。

小学校で転校したり新しい塾に通い始める時など周囲をいかに楽しませるか、嫌われないかに腐心していた自分を思い出した。周囲から浮いてしまうことへの恐怖の裏返しだったのだろうと、今となっては思う。

 

退廃の酒浸りの日々の中、家の2階で悪友と罪の対義語について語るシーン。

「罪、罪のアントニム」(対義語)はなんだろう。これはむずかしいぞ」

「法律さ」

「罪ってのは君、そんなもんじゃないだろう」

(中略)

「しかし、牢屋に入れられることだけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば罪の実体もつかめるような気がするのだけど・・・」

 

この後酩酊した頭の中で罪の対義語は罰であると確信した時、1階で起きた出来事で舞台は一気に暗転する。

悪友が罪に対する対義語を法律と発する理由は罪を社会的機構に定義されるもの、自身の外部から決められるものと捉えているからと推測される。逆に言えば罪を犯しても法律を行使する警察に捉えられなければ罪が成立しない。

一方で主人公が煩悶しながら罪の対義語を罰と考えた理由は、自らが内面で罪を自覚したときにすでに罪は成立しており、心の中で必然的に十字架を背負うこととなると捉えたからと考えられる。この内罰性は「かくあらねばならぬ」という理想像に比例して強くなる。

そんな一見倫理感に厳しい彼だが罪を感じた結果罰を避けさらに「理想像」に反した行為に自らを逃避させる⇛その結果再発生する罪悪感を同時多発的に内面に抱えさらに逃げる、といった負のスパイラルを繰り返していく。

本当は良くありたいのに、行動がいつの間にか道を外れてしまう。こんなことありませんでしたか?大人になる過程で心臓に毛が生えて忘れてしまったような気がしますが、僕にはあった気がします。

主人公が自己の内的真実に忠実で自己の欠如感覚を深めながら、人間としてのあるべき姿を希求した結果は挫折と敗北に終わる。しかしその過程は自身の欠如を割り切り偽善と自己保身に生きる人々を浮き彫りにする。

「廃人」に至る道をたどる体験には、自分もこういう瞬間、あるなあという新鮮な気づきを感じさせられる。

 

「私達の知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気が利いて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも・・・神様みたいないい子でした」