7日間ブックカバーチャレンジ「深夜特急 インド・ネパール編」
どうも僕です。
遅筆極まりないですが思いついたときに書いていくブックカバーチャレンジ(早くも死後感)2冊目は
【深夜特急 インド・ネパール編 沢木耕太郎】
男は26までに日本を離れなければね、という一言でアジアからシルクロードをたどってポルトガルまで、鉄道やバスを乗り継いだ筆者の旅の記録小説。
この小説を進められたのは中学の現代文だか地理の授業だったか。
僕自身大学卒業間際まで海外には縁がなく、当然中学時代の僕も海外なんて関係ない世界、と思っていたがこの本には得体のしれない引力があり一気に読み進めてしまったことを覚えている。
ノンフィクション作家である筆者だからか、虚飾や創作じみた部分は少なく感じる。行く先々での人との出会いやトラブル、美しい景色や猥雑な夜の街まで、旅の非日常感をロードムービーのように味わえる。
なかでもインド・ネパール編は全編を通してもカースト制や混沌とともに生きる人々の息遣い、旅人の孤独などを感じる一冊で、一度全編BOOKOFFに出してしまったあと、この一冊はもう一度買い直してしまった。
コルカタで電車のきっぷやリキシャを値切ることに疲れながらも次第にそれが快感となり、思いつきで三等列車でブッダガヤへ向かい、不可触民の村で共同生活し、ネパールのヒッピー宿で朦朧とした日々を過ごす。。。そんな旅を200ページ以内で体験できる。
今回読み直して特に印象に残ったのはバラナシの死体焼き場のシーンと旅人に関する考察のシーン。
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この死体焼き場で私の目に異様に映ったのは鳥ではなく、牛だった。この沐浴所にも野良牛がうろついており、台地の上から死体を焼く煙が流れてくると、口を開け、目をさらに細め、首を前に突き出して恍惚とした表情で匂いを嗅ぐのだった。
(中略)
無数の死に取り囲まれているうちに、しだいに私の頭の中は真っ白になり、体の中が空っぽになっていくように感じれられてくる・・・
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敬虔で、ずる賢くて、無邪気で、下のカーストを差別し、優しく、貧しく、幸せで、不幸な、様々なインドで人生を生き終えた人々がやってきては焼かれ河へ流されていくシーンに対する感想は、どんな言葉で表現してもどこか陳腐で違和感のあるものになってしまう。
もう8年前になるが、バラナシでマニカルニカー・ガートの焼き場を遠目に少し見てプージャーの声を聞いていたシーンがじんわりと蘇る。
また、ネパールのヒッピー宿で過ごしていた時の随想に以下の言葉があり、これも印象深かった。
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子供と老人だけじゃないですか、旅人と関わってくれるのは。まっとうな仕事を持った人とは忙しいから関われない。国境を超えていってもその国を理解する契機すら得られえない。
(中略)
僕がインドで初めて考えたことは、インドについては何も得られないんだ、ということだったんです。インドって、大言壮語しちゃいそうなところがありますからね。
(中略)
外国のことはわからなかったけど、自分のことは少しわかるようになったかもしれない
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日本のどこに行っても、外国のどこに行っても、座学に+αになる体験はできても肌でその場所を理解することはできないのだなあと。だから実際に数ヶ月以上住んだことがない場所はあまり知ったように語らないほうがいいかな、と個人的に思っている。あそこの人はああだから、とかこの国はこういうところがある、とか。
ただ一方でその体験が自身の考え方に影響を与えることは非常にあるので、旅の意味は自身の引き出しを増やして視野を広げることなのかなと、最近感じてます。
いきたいなあー、旅。