快楽のストローク
今日10時間立ちっぱなしだった廃人です。
いや、バイトだよ。
途中で二人のGが強襲してきてびびった。調査書とりにきたらしいけど、普通に吹きそうになった。だって久々のスミヤバザルだよ。
となりに厳しいおねえさんいたから必死でこらえたけどさ、おもしろかった。画的に。
あと某生徒をゴミ箱に投げ入れた某新大久保の中高の技術教師も客としてきた。
朝とかは某中高の事務のお姉さんもくるんだよ。マネ時代はお世話になったもんだ。
「野球部に電話です♪」「はい」
これだけの関係でしたが
はいはいわろすわろす
本題。
この前たすくとカラオケでチャットモンチーをキモく歌って語った。なぜシャングリラのリズムは病み付きになるのか。
多分シャングリラは野球にたとえるならいわば変化球で、ストレートでは多分ないわけです。
誰だって好きな音楽が主流(何を持って主流とするのかを議論すれば、みずかけの2ch状態になりそうだがまあ語弊を恐れずに言うならカウントダウンTVで五位以内に入りそうな音楽かなあ)としかないということはないだろうと思う。
でもやっぱり主流ははずせないことが多いことも否めない。
たとえば、RADWIMPSもアシッドマンもバックホーンも、実はアリプロも好きなんだけど、もちろんミスチルも好きだ!!みたいな。
あるいは、バンプもエルレガーデンもグレイプバインも好きなんだけど、ぜってえコブクロははずせねえ!!みたいな。
洋楽なら(まあ僕はレッチリとかオアシスとかリンキンパークくらいしか知らないかもしれないけどさ)結構コアなのが好きなオレサマなんだけどさ、やっぱビートルズははずせねえよ!!!みたいなさ。
飛躍するんだが、そこには人間が子宮にいた時からの記憶が影響してるんじゃないかな、とおもう。お母さんの歩くリズムを感じながら、そして常にお母さんの鼓動を聞きながら、人は命を生成していく。一定のリズムの音を聞くことで絶対的な安心感や喜びを得る一方で、子宮の外の世界にあるちょっと変わったリズムにも渇望しているみたいな状態だと思うわけですよ胎児の皆さんは。
どうもこの話はSEXにも言えるようで、基本的に一番きもちいいのは正常位の単純なストロークらしい。でも人間それだけじゃ快楽は得られないようで、あんな体位やこんな体位で、もしくはあんなプレイやこんなプレイで、ギシアンギシアン大冒険しながら快楽を追求していくようだ。
と語るDT。
不思議だ。こう考えるとこの世の中には何かと二極する存在があるような気がしてきて、全てがそのせめぎあいにも見えてくる。
快感と不快感
信頼と不信
主流と亜流
正義と悪
悲しみと喜び
アメとムチ
男と女
まったく関連性のないものをつらつらと並べてきたが、まあ僕が感覚的に思うところによれば(それを人に伝えるのはとても難しいのだが)人間はふたつの極の間でふらふらとさまよいながらバランスを取っていきていく生き物なのではないだろうか。
そのふたつの極というものも人間がつくりだした「意味」があって初めて成立するものでやはり人間は生きる上で自らの思い込みから逃げられないのだなあというところに、まあ理論的には破綻してるんだろうけど、音楽のことについて考えてたらたどりついた。