新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

歪みねえ飲み放題〜日本酒専門店 クランド・サケマーケット〜

これはすごい。

どうも僕です。5月3日(ごみの日)、某まさと氏の生誕31年記念祭がまさと氏主催で行われた。その開催場所となったのが「クランド・サケマーケット池袋店」だ。

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完全に日本酒マニアの主役にふさわしい舞台

 

・100種以上の日本酒飲み放題(ビールや焼酎、梅酒などもあるがやはり主役は日本酒)

・食べ物の持ち込み自由(食器や酒器、調理器具や調味料は借りられる)

 

という飲ん兵衛のサンクチュアリのような店である。

休みの日のため2160円で時間無制限飲み放題であった。

日本酒については小さな蔵元の酒を紹介するという店のコンセプト上誰もが知っているような銘柄はないが、変わった味のお酒の違いを好き放題堪能できればそれでいいのだ。

 

刺し身のサクやらつまみやらを持ち込めば完全なる休日が出来上がる。

 

池袋だけではく新宿、渋谷、上野、新橋、横浜、大宮などにもあるらしい。

またいきたいのう。

kurand.jp

さあ、ヤクルトを愛そう

踊り踊るなら東京音頭〜♪

どうも僕です。

今年もヤクルトが弱い。

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なかなかにどうしようもない

三年前には優勝したチームである。

それが翌年五位、そして昨年は主力を山田哲人と中村悠平以外ほぼ全員怪我で欠き、他を圧倒するぶっちぎりの最下位である。

そして今年も昨日巨人に勝つまで、5月に入ってから一人も先発投手に勝ちがつかない、という驚異的な弱さを発揮し安定の最下位につけている。

 

原因は山ほどあり絞ることができない。

下がるチーム打率、とにかく打たれる先発、先発だけでなく中継ぎも打たれる、怪我による選手離脱、得意の外国人スカウトは空振り(ブキャナン以外)、指名した近年のドラフト選手は静かに消えていく・・・

 

とはいえ昨年ほどどん底を極めれば悪いニュースでもない。

メジャー復帰した青木はチームを盛り上げているし、山田も復調の気配。バレンティンもいい加減打てなくなるのではないかと思いきや何食わぬ顔でホームランを量産している。坂口もオリックス時代の腰痛マンの印象はまったくなく、キャリアハイに近いペースで打ちまくっている。

あとはとにかく投手陣に頑張っていただきたい。

 

と言いながらも、神宮球場のチケットは売り切れ、グッズの売上も好調らしい。

みんな弱いヤクルトでも「しょうがないな~」と思いまたスタジアムへ足を運ぶのだろう。弱いからこそたまのいい勝ちが嬉しいのだ。

 

頑張れ、ヤクルト。

 

・・・成瀬、元気?

 

きっとここは天一より濃厚だと思う 〜無鉄砲 中野店〜

どうも僕です。更新がだいぶ滞っております。

リハビリにというかなんというか、最近嫁さんとの共通の趣味となっているラーメン食べ歩きの記録を上げていきたいと思う。

 

まずご紹介するのは無鉄砲 中野店。

「とにかく濃厚なラーメンが食べたい」

そんなときに一番最初に思い浮かぶラーメンは天下一品のこってり、という人はすくなくないのではないか 。

しかし都内には僕の知らないこってりラーメンの店がまだまだある。

 

ということでやってきました西武新宿線沼袋。

「東京の田舎」を自称しているようで北口を出てまっすぐに商店街を進むとなかなかいい具合に仕上がっている店の数々が目につく。どことなく落ち着く感じだ。

ひたすらに商店街を直進し、新青梅街道とぶつかる交差点を右折。徒歩10分強かかるだろうか。

突如登場する看板。関西には結構あるチェーンらしいが、東京はここだけっぽい。

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ゆかはいい感じにぬるついている

そこはかとなく立ち込める豚骨のかおりに胸は高鳴る。

店内は厨房を囲い込むようなカウンターになっていて、調理の様子と豚骨スープのはいった巨大な鍋が見られる。

迷わず看板のとんこつラーメンを選ぶこととする。

注文するときに麺の硬さやスープの濃さは選べるようだ。

そして。。。

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きたあああ

 

着丼。なかなかの存在感である。

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麺を取り上げるとがっつり絡むスープ

かなりの粘度である。

スープを一口飲んでしまうともう止まらない。

一見どろどろの濃厚にみえるものの、口に含むとほのかな甘みや旨味を堪能できる。

濃厚ラーメンのサイトに頻繁に登場するだけある、食べごたえのある一杯。

個人的には天一よりも濃いと思う。

 

ごちそうさまでした。

 

 

ramendb.supleks.jp

友達と会うということ

久々に高校の友人と二人で飲んだ。その後カラオケに行った。彼と僕は仕事の話をしたが、何が残ったかというとなにも残ってはいない。

それでいい。

なに歌ったか。うまく歌えたか。それもどうでもいい。

彼と会えたこと、楽しい時間が過ごせたこと。

それが宝なのだと。感じるのであった。

映画「LIFE!」

どうも僕です。

この映画を見たのは二回目だけど、二回目のほうが泣けました。

 

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〜あらすじ〜

「世界を見よう、危険でも立ち向かおう。それが人生の目的だから」というスローガンを掲げる伝統的フォトグラフ雑誌『LIFE』。

ウォルター(ベン・スティラー)は、『LIFE』編集部のネガフィルム管理部門で真面目に働きながらも、地味で平凡な人生を送る冴えない男。

想いを寄せている同僚のシェリル(クリステン・ウィグ)に直接声を掛ける勇気もなく、彼女がパートナー探しのウェブサイトに登録していることを知れば、自身も登録してみるものの、特徴的な体験談のひとつさえも書くことがない。しかしお得意の空想の世界では、時にアクションヒーロー、時に勇敢な冒険者となり、シェリルに対して情熱的な台詞を言うことも出来た。しかし所詮それは、空想の世界の出来事でしかなかった。

ある日出社したウォルターは、突然のライフ社事業再編と、それによるLIFE誌の廃刊を知らされる。同時に、事業再編を担当する新しいボス、テッド(アダム・スコット)がウォルターらの前に現れる。

LIFE誌を代表するフォト・ジャーナリストであり、冒険家のショーン(ショーン・ペン)は、いち早く事業再編による廃刊を知っており、ウォルターへの手紙と、LIFE誌のための最後の撮影フィルム、そしてウォルターのこれまでの仕事ぶりに感謝を込めた、革財布の贈り物を届けていた。

しかしショーンが「自身の最高傑作ゆえに、最終号の表紙に相応しい」と記す「25番目のフィルム」はそこにはなく、撮影フィルムから欠けていた。

テッドによる容赦ないリストラクチャリングが始まる。同時にテッドは、最終号の表紙を飾る予定の、25番目のフィルムの早急な提出をウォルターに求める。

25番目のフィルムの在処はショーンしか知らない、と悟ったウォルターは、映像が写っている残りのフィルムを元に、シェリルの協力も得て、ショーンの所在を推理するが、それはニューヨークから遠く離れた場所、グリーンランドであった。

気がつけばウォルターはオフィスを飛び出し、ショーンを見つけるべく、エア・グリーンランドヌーク行きの飛行機に飛び乗っていた。この瞬間からウォルターの、空想の世界ではない、現実の世界での冒険がはじまる。同時にこの旅は、彼自身の人生の転機、思いがけない人々との出会いの旅となるのであった。

 

よくあるというか、人からシンプルに聞く話として、

「旅をしなよ、人生が変わるから」

というのがある。

往々にしてそんなドリーマーな人生を送れる人間なんて仕事をまともにしていれば少ないし、単純に旅だけして飯を食っている人間といえばライターか冒険家か音楽かヒッピーか。そんな旅オンリーの人生送れるかアホ!

 というのは時間ある、作れる人間への嫉妬であって、やはり旅はいいあと思う映画だった。

 

主人公は最初は都会の冴えない会社員で、旅を通じて成長する・・・というのはありがちな話で、その成長はいい女を見つけるとか、日常を改めて大切にするみたいなざっくりパターンがいわゆる「自分探し」旅 ストーリーに多い。

この旅映画が見せるのは、旅を通じて得た人や自然との出会いが、人生を再認識させる瞬間だった。

 

劇中に登場する世界を飛び回る写真家も、結局は都会の片隅で自分の仕事にプライドをもって淡々と職人気質の仕事をしていた主人公に敬意を持っていたし、彼自身が自分の仕事を

「世界を見る、人を知る、それが人生」

という社是に結びついて意識できていなかったんだろう。

冒険的な旅は彼にとっておそらく、何か新発見をするというより都会にいる自分を客観的に見る機会として貴重なものだったはずだ。

 

人生の一本道はおそらく、自分しか責任の持てない一本道であるが、自分を肯定できない瞬間もある。

旅が人生に与えてくれるエッセンスというのはおそらく、その瞬間での感情的判断以上に、自分の人生の客観的価値観を多様化させてくれることにあるのだろう。

「これは人生の終わり?いやいやたまたま通り雨が降っているくらいだろ」みたいに。

 

世界を見よう。そして感じよう。

 

「すべての旅は自分へとつながっている」はずなんだ。 

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大叔母が亡くなった

そうである。御年90は超えているであろう。

僕自身、記憶のある範疇で彼女にあったのは大学の時だから、8年以上前になる。その時は彼女はしゃんとしていて、僕や父に激を飛ばすほどに元気だった。

 

ひとつ感じるのは人と触れ合う時間の貴重さである。

ざっくりとした記憶だが、実家をでて一人暮らしをした場合、親と触れ合う時間はそれまでの人生の何十分の一になるという。

 

肉親でもそうなのだから、どんなに大切な友達でも、たまの親戚でも。旧交を温められないうちに時間が思い出を錆びつかせるだろう。

 

人間は一人で生まれ一人で死んでいく。ただ、目の前に来ては過ぎゆく人を愛さずにはいられないし、それが人の生きる喜びのはずだ。

また、死にゆく人にとっても、唯一残せるのは自分の知人の誰かの記憶に残ることかもしれない。

ワンピースのチョッパーが仲間になるあたりで、ドクターヒルルクが、「人が本当に死ぬのは、みんなの記憶から消えることだ」とかなんとか言っていた。

まさにそのとおりで、3世代遡れば目の前に残るはただの墓石。

よほどの英雄でもなければ生前を知る者はないのである。

 

いろいろと踏まえると、誰かが亡くなった、という話を聞いたとき、それを本当に悼むことができる行為は、その人の思い出を新たにすること、そして繋いでくれる人につなぐこと。そう思うのでした。

 

思いまとまらず。合掌

 

よつやさん

 

よつやさんが亡くなった。

 

四ツ谷駅前の、イグナチオ教会の前で暮らしていた男性である。

御年72歳だったらしい。

僕が大学通い始めたのは今から約10年前になるが、その時からよつやさんは教会の前で暮らしていた。

四ツ谷駅前というのはちょっと特殊な空間で、人混みもなく、教会の前ということもありどこか清廉な雰囲気のする場所なのだが、そこに佇むよつやさんから異質な存在感を受けた記憶がある。

 

だが日本の色々な場所を旅して見聞を広めたり、大学の授業や読書で少しずつ考えが深まるにつれ、僕の中でのよつやさんの在り方は少しずつ変わってきた。

どんな人生を経てここにたどり着いたのか。ずっと交差点に佇み、何を見て、何を考えていたのか。また、よつやさんを見たときに感じた自分の気持ちは、とても浅はかではなかったかと。

 

よつやさんの目は鋭かった。何かいつも怒っているかのように見えたが、教会に礼拝に訪れるフィリピンや、ベトナムの人の中には、よつやさんの隣に寄り添い言葉を交わす人も少なくなかった。

 

大学を卒業し、折に触れ四ツ谷に訪れてもよつやさんは健在だった。

最後に姿を見たのはGWのことだ。

一言も言葉はかわさなかったが、そんなよつやさんがいなくなってしまったと思うと、胸の奥がチクッとするような、そんな気持ちだ。

 

合掌。

 

本を読まなくなった僕を見つめる大学生の時の僕


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どうも僕です。

あけましておめでとうございます。

久方ぶりに小説を読んだ。

 

最近まったく活字を読まなかったわけではないが、ビジネス書や旅行ガイドブックを読むくらいのことが多い。小説を読むのとはまったく違う行為だ。

本を前者は現実世界をなぞるための情報をダイレクトに得るための行為であり、後者は物語を読み解きながら読者が都合よくメッセージを解釈し、各々が「どう考えるか、どう生きるか」の糧とする行為ではないだろうか。

 

現実世界にフィットすればフィットするほど、得る情報は現実をなぞるものだけで良くなる。仕事での実力をつけるのであればスキルや自己啓発、実業的な情報を得るべきだし、オフタイムに人とコミュニケーションするのであれば遊び場やグルメの情報を得るべきだろう。いかにせよ、その情報は直接的に時間を豊かにするためのものに他ならない。

 

一方で小説を読むという行為は自己の世界をかき回し幅を広げるが、それが外的に変化をもたらすことはあるかというと一切ない。その時間は自分だけのために使われる贅沢なものだ。

現実世界にフィットせざるを得なくなればなるほど、その時間の優先度は下がり、所蔵する文庫本の数は減っていく。

それは大人になるうえで至極まっとうなことだが、小説の読書量が減るにつれひしひしとした危機感を感じることがある。

 

渇望が徐々に薄れていっていることだ。

 

もっとこんな価値観を知りたい、こんな世界を知りたいという渇望が薄れている。

自分の周りに薄皮のようにまとわりつく義務的な世界に自分をフィットさせることに終始してしまっている。

 

もう少し、強引にでも読みたくなる本を探して読んでみなければ。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

同じ夢を見る

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どうも僕です。

最近同じ夢を、厳密に言うと三部続編で見ています、

 

一部

僕のやっている仕事がよくない状況を生む。

その時なぜか警察に自宅を取り囲まれて、僕はトム・クルーズばりのワイヤーアクションでマンションから逃げる。あでもそいつらはどこまでも追ってくる。近くの公園も、駅も、逃げ込んだ行きつけの新橋の飲み屋まで。でも逃げ続けるしか無い。そこで眼が覚める。

 

二部h

自分と同じで仕事がうまくいかない人がタワーに幽閉されている。僕はなぜかその人を助けに行く。いく先々のフロアで僕はこう言われる

「この疫病神」現実では決してそういうことを言わない人々だけに凹むが僕は何故かタワーに登っていく。

やはりトム・クルーズばりのアクションで鍵を爆破し、幽閉された人を助ける。

すると僕はこう言われる。

 

「ハロー、俺はお前のせいでここにいるんだ、償え」

 

僕はタワーを下り始める。そこで眼が覚める。

 

三部

ひたすらタワーを下る。ゆく先々には僕の仕事のせいで迷惑をかけた人たちがいて、やはり追い払われる。行く先々で追手に内部告発されて、僕は排気口に隠れてやり過ごす。

ようやく1Fに降りる。出口はすべて監視で塞がれていて、とうとう僕はつかまる。

僕を羽交い締めにした一番信頼していた人がこう言う。

 

「お前のせいでこうなってるんだよ」

 

眼を覚ます。一睡もしていない気分だが空は明るい。

一つ言えることは、やはり自分が至らないからこういう夢を見るのだ、ということだ。