新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

サザエ「アワビでございまーす」

(長いので近況報告は1分でまとめてみました)

夏休みが始まって1週間ほど経ちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか

僕は、ポニョ見たり、一年間留学してしまう安田君とビリヤードやって、その後たまたまひろむや隆と会って飲んだり、FBの打ち上げしたり、新聞の追いコンに参加したり、レポート書き上げたり、新聞の合宿にこっそり参加したりして充実してました。びっくりするほどユートピア



群馬の水上温泉で行われた新聞の合宿では、川辺で遊んだり、BBQやって花火やって、温泉にも入るという、ぼっちだったら絶対できてないだろうアクティブな夏を体感させてもらいました、ほんとうにありがとうございました













さて、一日中予定が無かった今日は昼過ぎまでグースカ寝てたわけなんですが、せっかくなのでどこか散歩でもしようかと、地図を読んで目ぼしい場所を探していた。

「東京に住んでてもどこになにがあるのか全然知らないな〜、東京広いしな〜」と常日頃から実感していたので、新宿、大久保、中野、高円寺、荻窪、吉祥寺、秋葉原で人生が完結してしまっている自分としては、もう少しアグレッシブな散歩をしたかったわけで。



そこで今回やす〜いレポーターが突撃する、アド街ック地獄がクローズアップしたのは、台東区

予定コースは大阪西成に次ぐドヤ街「山谷」、江戸幕府公認の遊廓だった「吉原」、ラブホと街娼だらけ「鶯谷」、新宿二丁目に次ぐ「ウホッ」タウン上野、そして秋葉原と締めようかと。まあ実際AKB以外は未開の地だったのでね。



荻窪から電車を乗り継いでスタート地点、南千住に降り立つ。

千住は正確には荒川区だが、南に歩道橋を渡ると、いわゆる「山谷」と呼ばれる(正確には山谷という地名はなくなっており、現在は台東区日本堤、清川周辺が当時のそこにあたる)ゾーンに入るといういわば入り口地点として選択した。



よし、と歩道橋を渡ろうとした瞬間、「首切り地蔵」という立て札が目に入る。なにやら気になったので指示に従って進んでみるとガード下に「延命寺」という小さな寺が







ここは20万人の血を吸った小塚原の刑場の跡地だったということで・・・



いろいろと非常に残酷なことが書いてある看板を一読してから奥に進むと、広大な墓地と、地蔵と呼ぶにはあまりに大きすぎる首切り地蔵尊が。曇天と、生活感溢れる古びた団地を背景にした、あまりにも唐突に過ぎる大きな地蔵尊の登場に思わず肩がすくむ。また、周りには大小さまざまな石仏があり、少々おどろおどろしかった。



近くには回向院という、安政の大獄で罰せられ、刑場で殺された志士を弔う史跡もあり、そこにも足を運ぶ。



いきなり予想外のものを見せ付けられたが、気をとりなおして歩道橋を渡り、山谷に入る。

とにかく廃屋のようなシャッター商店、そしてそこに張られたビラが多い!公明党共産党、そしてピースボートのものばかり。あとは「○○エステート」といった893屋さんの小さな事務所とか。まあ、これはいかにもといった感じだけど。

たしかにちょっとアレなオッサンがやたら歩いてるな・・・でも西成ほどじゃないかも、とか考えてたら、泪橋に到着。

由来はココから小塚原の刑場に向かう囚人が涙を流しながら渡った橋だからだとか。「明日のジョー」でも有名だよね。泪橋を逆に渡ってやるんだ!!的な赤いスピリッツ。



泪橋を渡ると台東区。番地も日本堤に変わり、本格的な山谷に入る。ここから一気に、ずっとアレなおっさんのターン!!しかもいかにも香ばしい感じの商店街があったので入ってみたんだが・・・





とりあえずオッサン寝すぎ。店つぶれすぎ。廃店舗にぎっしりつめられた故障バイクとかゴミ屋敷とか、理解不能な光景が多かった・・・いちゃもんつけられたらアレなので写真はモチよっこら自主規制したけど。

でも西成と比べたらそこまではひどくなかった。最大の違いはいろんな意味で不法な露店が出ていないトコ。



そしてもう一つのポイントが安宿!もともとは日雇い労働者のその日の宿として多数存在する安宿が、いまや海外バックパッカーが注目するリーズナブルホテルにwww

大阪に行ったときは世界陸上の効果か、外国人が西成の一泊700円から2000円の宿に殺到していたが、この山谷の宿は1500円から3000円と、若干高かった。それでもプライベートが確保され、TV、エアコンが完備の激安部屋は魅力なようで、付近にはバックパッカー協会のようなものも存在していた。



さて、香ばしい香りが吹き抜けるアーケードを抜けると、吉原大門に出る。大阪の飛田にも、芸妓を閉じ込めるための大門の名残があったけれども、この地名もその名残なのだろうか。ちなみに吉原という地名もいまは無く現在の洗足3,4丁目付近がそこにあたる。





吉原の歴史については長いので、軽くウィキってみてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F_%28%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%29



各通りごとに並ぶおびただしい数のソープランドはある意味圧巻。夜来なくてよかったかもしれない。午後四時半という微妙な時間帯だからか、ソープ街には出勤途中と思われる嬢の姿が。正直、暗闇推奨っていう感じの顔のお方が多かったんですけれども。

当然ながら精神的ポリシー(と金欠)からソープには寄らず史跡めぐりに徹する・・・

吉原弁財天・・・葦の生える沼地だった吉原が開発された時に残された沼に祀られた弁財天。関東大震災時には多くの芸妓が火災から逃れようと弁財天の池に飛び込み亡くなったとか。でかい供養塔があります。



吉原神社・・・タダの神社だけど、吉原の歴史の音声案内がwww地図もついていてなかなか勉強になる。繁華街ならどこでもある角海老グループって、エラい昔からあって「角海老廓」といったそうです。





吉原を抜けて、次は鶯谷だな・・・と思ってたら道に迷って浅草に出てしまった!!

まあせっかく来たので浅草寺へ。ぬこも歩く夕暮れの浅草寺には、暦の上での秋を感じる涼風が微妙に吹いておりますた





夕暮れの仲見世通りと雷門にも、浴衣の人とかいてなかなか乙。カップルがうじゃうじゃしていた以外は。



はなやしきや、浅草ロック座の場所だけ確認して、道を引き返し言問通り鶯谷方面に歩く。



到着したころには日も暮れ、鶯谷は街娼だらけ。しかもここは歌舞伎町と違って路地のような狭い場所にラブホが密集しているからか数が半端く存在している。日本人のオバン系かアジアの若い系でいうと、後者が多いのが歌舞伎町、前者が多いのが鶯谷。正直、歩いているだけで疲れますた・・・



この妖しい喧騒から逃れるべく、日の落ちた空の下を上野方面に向かう。暗闇でライトアップされ、浮かび上がる美術館や博物館はなかなか圧巻。夜の上野公園散歩も悪くないですよ。アッーに気をつければ。





あとは前見た「男ビデオ」「サウナ」のアッーな看板を上野界隈でチラ見。デジカメの電池が切れたのでHP画像で代用

http://yokohama.cool.ne.jp/coq/road/road15.htm

これはひどいwwww

http://www.juno.dti.ne.jp/%7Ekazuo24/ueno/ueno.htm





そして中央通りをまっすぐに南下し、見慣れたAKBの風景を目にして落ち着いた後、しばし彷徨して総武線で帰宅。途中で人身事故にあっても全く気にしない熟睡っぷりだった・・・



次はどんなところに行こうかな・・・