新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

センセイの鞄

ある方に薦められて手にとった一冊。



アマゾンより

およそ恋愛とは結びつかないはずの2人―― 38歳のツキコさんと70代のセンセイは、近所の駅前の一杯飲み屋で居合わせて以来の仲だ。

憎まれ口をたたき合いながら、2人は共に過ごすようになる。センセイはツキコさんの高校時代の国語の先生だ。背筋をしゃきんと伸ばし、ジャケットを着、いつも同じ黒いかばんを頑固に持っている。一方のツキコさんは独身でもてないわけではないのだが、同世代の男性に誘われてもぴんとこない。かつては恋人とさえ「ぬきさしならぬようになってしまう」のを恐れていた。そんなツキコさんが、しだいにセンセイを強く求めるようになっていく。













谷崎潤一郎賞を受賞した作品で、発表当時は中高年のオヤジたちが手に取り、涙を流すといった、そういう作品だという。







人の数だけ性格があるのと同様、恋愛にも人の数だけ形がある。

主人公のツキコは40手前の女性で、決して男性からもてないわけではないが、恋情を育てるようなことができないままに時間が流れ、結婚の話をする親戚もひとしきりあしらい終えている、そんな感じの人だ。



同世代の友人達が「ウンメイノゴトキコイ」を成就させていく中、どの男性の胸の中にも心ごと飛び込んでいくことができない自分が歯がゆいわけでもなく、ただ淡々と日々を過ごす彼女を、実直を絵に描いたようなセンセイが惹きつける。

世間に対して斜に構えるわけでもない。自分の気を引こうとしてくるでもない。

ただいつも同じペースで酒を飲み、句を読み、時間と季節をゆっくりと歩んでいくセンセイは、適度な距離感を好み、周囲から冷めていると言われたツキコの胸中をゆり動かしていく。



互いに熱く燃え上がり、時には激しくぶつかり合ったり嫉妬したりしながらもそれを乗り越え、恋を成就させるといった王道ロマンス的な要素に違和感を感じている女性には共感を呼ぶのかもしれない。

個人的にはこういう、主体性を持ちたがっているものの、誰か自分とペースの合う成熟した人に全てを委ねたい女性はオヤジフェチに近い一面があると思っているのだが。



また恋愛観だけではなく「老いる」という現象に対しても世間の価値観とは一線を画している。「老いる」ことが健康を失いったり、伴侶を失うといったマイナスベクトルの印象を植え付けるような叫ばれ方をする中、作品中では老いに対する慕情や年輪への素直な好意を表現することで、老いが喪失だけではないという点を気づかせてくれる。



この作品を読んで感じたのは現実や社会とのぶつかり合いに関して触れていない点だ。

センセイは遠い昔に妻に出奔され、息子や孫とは一線を置いた隠居生活を嗜んでいるからということもあるが、ツキコに関しても仕事を持っているとはいえ基本的に社会生活を積極的に営むほうではなく、何をするにもひとりで、淡々としている印象を持たせる人物像が出来上がっている。





ツキコの理想の恋を彩る出来事に焦点を絞った、夢物語を綴った絵本のような小説になっているという印象を受けた。

よって、当事者間の感情の機微にそのまま着色したような男女の情を書いた、谷崎潤一郎の名前を冠する賞にふさわしい小説だというように感じた。





ただ一方で、ロミオとジュリエット、夏の夜の夢、春琴抄、のように無数にある、社会的な慣習や価値観にはばまれて叶わぬ恋、それに抗う、もしくは粛々と従う形で結ばれる二人といった従来の恋愛小説とは一線を画しているように思われた。



それが取り払われているような小説が出てくるというのは、特殊な現代日本の世相を映しているようで、非常に興味深い。