新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

恋愛資本主義

を粉砕せよ、という小規模デモが新大久保であったというゴリの日記を見て、反応させていただいた。

まさとはミクシィのコメント欄で勝ち組負け組の格差がどうのこうの言ってた。確かにそれも一つの解釈だが(もちろん僕は負ry)、今回はこの言葉について僕なりの解釈を加えてみたりしようかと思う所存にございまする。明らかな形であるべき憲法すらも解釈という2文字で何十年も揺れてきたんだから、言葉なんていくつも意味があってしかるべき。



そもそもなんだ、僕らの世代の男に蔓延する「彼女いない奴負け組」的空気は。そして女の子の画一的な「カワイイ」雰囲気は。



もちろん恋愛自体は大切で、すばらしいことだと思う。

以下の説得力ある、なおかつ心にグサグサつきささる秀逸なコピペを見ていただきたい。





就職できない学生は3分面接すれば充分に分かります。 特徴を挙げると、大人しい、 社会人として考え方が子どもっぽい 、読書経験がなく柔軟な思考力が欠如している、スポーツ経験 ゼロ、 恋愛経験ゼロ、声が小さい、このような要素が必ずあるものです。

 もちろん基礎学力は必要ですが、スポーツ経験と恋愛経験というものは意外に 仕事の出来不出来にかかわってくることが多いようです。会社組織において 仕事のできる人は異性にもてています。

告白、口説きなどの一連の恋愛のプロセスは、 社会に出てから商談事などで要求される交渉力と似通っており、大学卒業時点でもろくに恋愛経験がない学生は使えないと言っても差し支えないでしょう。 一方でそのような学生は「お人よし」なケースが多く、毅然とした態度で接することができないおっとりしたのんびり屋さんです。ほかにも道はあるでしょうが、企業組織内では いちはやく淘汰される対象です。この厳しいご時世、大人しい秀才よりも多少生意気で猛々しい学生をほしがる企業が増えています。スポーツ恋愛経験がある学生は、集団行動や人間関係面で長けている場合が多く、非常に有利でしょう。ほかに要求されるのは、読書経験です。IT化に伴い、書物をじっくり読む機会は減っていますが、 読書で得られたものは必ず生きてきます。インターネットでは、今のところ 思ったより知識や思考の柔軟性は身に付かないようです。私が出会った企業人の懐の深さは 豊富な読書経験によるところが多かったように思うのです。

皆さんは、スポーツ、読書、恋愛などを通して学生生活をエンジョイしてください。

これらのことは時間のとれる大学時代にしかできないことです。また気の合う仲間だけでなく、 色々な人と出会って話しをするくせをつけましょう。大学時代「楽しめた」学生の多くは 希望の会社に就職しています。学生時代に築いた人脈は、確実に良質な肥料となるでしょう。学生が思っているほど、学歴は関係ありません。学習歴、実力が問われる時代が到来しています。大人しく青白い秀才は、百害あって一利ない、排除すべき対象だということを銘記しておいてください。





どうだろう。このコピペを鵜呑みにするわけではないが一理あることはたしか。恋愛というのは人間の感情をより豊かにはぐくむだけではなく、人間としての様々なポテンシャルに共通する面を持っているようだ。よって僕がモテないDTだからといって決して恋愛は否定すべきではない。



だが、冒頭にあった恋愛資本主義という言葉が言わんとしているのは、商業ベースに乗った、安売りされた恋愛観のことではなかろうか。



「愛され系のお嬢様スタイル」「小悪魔な女の子が今、モテる」



だああああああああああああああああああああああああ

たかだか620円やそこらのファッション雑誌にはどうやったらモテるか、可愛くなるかという価値観の押し売りであふれかえっている。



愛され系なり、小悪魔になってカレシをゲットしたお姫様達が次にしたがるのは「オシャレな」デートである。横浜なり渋谷なり六本木なりのオシャレデートスポットを東京ウォーカーなりなんなりがプッシュする。ついでにオシャレなラブホまでプッシュする。



本能的な恋愛行動までが完全に商業的にプロデュースされてしまっている状態、それが恋愛資本主義という言葉なのではなかろうか。



まずこの発祥はメディアである。TVが美男美女の恋愛ドラマなりなんなりを作り発信する。ファッション誌は最先端と称してグルグルと流行のファッションを発信する。

企業の商品開発にはマーケティングが不可欠だから、どのような年齢層、性別を狙うのか、何がトレンドなのか、とかをモニタリングなりアンケートで一生懸命に調査するわけだ。だがもっとてっとり早いのは企業とメディアが手を組むことだ。

ドラマのヒロインが使っている化粧品、携帯電話、着ている洋服の雰囲気、ドラマの舞台なりがそのままトレンドになれば、製品販売の好調に直結するわけだ。コラボレーションなんて仰々しい言葉を使わなくとも、「スポンサー」という形でいままでメディアと企業は手を組んできたわけだ。それは資本主義の浸透とときを同じくして進んできた現象だったのかもしれない。推測の域を出ないが。



でもですね。ひねくれもので冷めた僕としては、完全に資本主義スパイラルに丸め込まれて「せざるを得ない」恋愛に走りたくないわけですよ。

その人の中身を本当に愛したいと思えるか、なおかつ胸がどきどきするか。この2点を重視したいところ。

そんでもって万が一僕に彼女ができたとしたら、王道デート以外のデートをしてみたい。もちろん女の子は渋谷とか東京ミッドタウン(ごめん、使ってみたかった言葉ってだけwww)とかで甘いオシャレデートをしてみたいんだろうけども、そこらへんは相手に付き合うよ。喜んで。

でもたとえば、散歩しながら山手線一周とか、普通列車を乗り継いで行けるトコまで行ってお泊りとか、漫画喫茶でお互いオススメの漫画を一日中読むとか、アブノーマルなことと当たり前なことがしてみたいかな。同じ風景、イメージを共有して、そこから生まれる感情を晒し合う作業がしてみたい。だから共有する風景はできるだけありふれたもの、もしくは情緒あふれたものがいいし、イメージをかきたてられるものと接触したい。

恋愛は消費活動じゃなくて感情を左右に揺らす活動にしたいかな。









という誇大妄想と建前。

まあ現実的には、うちの大学を乱舞する白いトレンチコートのお姫様達に煩悩のディックが日々チャージショット寸前状態ですよ。渋谷でも横浜でも六本木でも一緒ならどこでも行くよべいべ状態ですよ。どんなにつよがったってどうみても所詮モテないDTの戯言、聞き流していただければ光栄です。ありがとうござry

恋愛資本主義マンセー