新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

ヱヴァとは繰り返しの物語なのか

楽しみに待ち続けていたヱヴァンゲリヲン新劇場版を見てきた(ネタバレあるかも)



・・・!

・・・!!!!!



なんなんだこの驚異の出来は

劇場版Zガンダムによる「再生」程度のことを考えていた僕は完全に予想を裏切られた。もちろんいい意味で。

総集編を見せられると思ってたんだよ。

実際は、完全なる新作。いや、大筋はちゃんとTV版を踏襲しているだけあって序。つまり新規視聴者が世界観に溶け込むにはちょうどいい作品。なおかつ、何度も見ているコアなファン層にはデジャビュを覚えさせる映像を随所に織り込むと同時に、破が全く違う物語に繋がっていることを匂わせる複線が張り巡らされている。



だがそんな風に先入観を持って見るべき作品ではない。よりテンポを増した戦闘シーン、緻密に描きこまれたメカニック、アニメ製作12年を超え衰えるどころか、ますます迫力を増す声優陣の演技。

最初のサキエルシャムシエルの戦闘シーンもよかったけど、何より激しく形を変えるようになったラミエルとの戦闘シーン「ヤシマ作戦」は秀逸。

屋島の戦い那須の与一が放つ矢の如く、狙いすまされる陽電子砲には日本全国の電力が結集される。駅とかにある広告に堂々と使われているあの機械群はこのヤシマ作戦の電力施設なんだけど、とにかくかかった時間と金と才能を考えるとため息が出る。

あれだけの追加要素を入れながらシナリオに支障が無いのはやはり神構成としか言いようが無い。



アニメ産業が輸出され、分業化され、商業ベースに乗り、質の低下が叫ばれる中、エヴァは日本のアニメの意地を見せたといえる。エヴァにより広がったアニメの傘が再びエヴァにより正されるというのもなんだか皮肉な話だが、その点では庵野総監督の所信表明は果たされた形になると思う。



この作品はTV版を見ていない人でもエヴァに入るにはいい、と、しておこう。

もはやエヴァに関する情報を入れすぎたこの脳では、エヴァ初心者の視点に立ってみるというのは欺瞞に過ぎない気がするからだ。

それに、大量に情報を短い時間に与えられる独特のシナリオがエヴァの魅力であり、視聴者の脳と心を刺激することであり、エヴァを見るとはそういうものだ、という固定観念をがこびりついてしまっているから。





以下、核心部への推察あり

細かいところをあげればキリがない、反応しても覚えきれないし、そこのとらわれすぎるのもよくないと思う。ゼーレ、ネルフのマークの新旧併用、早すぎるセントラルドグマの公開、2体のリリスエヴァのリモデル、使徒数の変化、カウントの変化、そして渚カヲルの目覚め。



庵野総監督は「エヴァとは繰り返しの物語」という。



エヴァ」はくり返しの物語です。

主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。

わずかでも前に進もうとする、意思の話です。

曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。



最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。

当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、

誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します。



この辺りから、なんだかエヴァは「TV版」「映画版」「そしてこの新劇場版」っていうパラレルワールドのような展開で持っていこうとしているんじゃないかなと。

おかしいと思ったんだよね。いきなり海が赤いんだもの。



そして最後のカヲル

カヲル:わかっているよ。あちらの少年が目覚め、概括の段階に入ったんだろ。

キール:そうだ。死海文書外典は掟の書へと形を移した。契約の時は近い。

カヲル:また三番目とはね。変わらないなぁ君は。会える時が楽しみだよ、碇シンジ君。



つまり、このエヴァンゲリオンという作品全体が、碇シンジ→全ての視聴者の心、の物語っていう位置づけなのではないのかと。何百通りもある結末の、たとえばの三番目の物語に過ぎないっていうね。



まあこうやって当たっているか当たっていないかの深読みをするのもこの作品のだ醍醐味。



こんなもんで、一つの物語としてエンタテイメント的に楽しめる要素、そして今まで見てきた視聴者には深読みの自由が与えられるという要素を内包するこの作品は、間違いなく日本の誇る現代芸術の名を冠するにふさわしい、と大げさに感じてしまうのでありますよ。まあ要するに、1500円は安い、安すぎるってこと。

間違いなくも一回は確実に見よう。