新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

アナル・クライシス

こんにちは僕

4限連続で法学という虚しい一日に、暇つぶしの小説を忘れた日には、駄文でも積み重ねるに限る。



ところで、こいつを見てどう思う?

いやなんだ、まあ要するに厠に行って、このご時世水洗式でない3号館のブラックホールに向かって、ソリッドバズーカをぶちかましたいとうだけなんだけど、授業ももう少しで終わるし、ここはわざマシン34で「がまん」を覚えてしばし粘ろうかと思うんだ。



そもそも排便という行為に対する欲求は、人間の生理的欲求ピラミッドの中でもかなり上位に位置している。思い出すだけで食欲、睡眠欲、性欲などがあるが、自分の中で二つの欲求が戦っている様子を想像すればわかるが、排泄欲はこのいかなる欲求にも勝る衝動を秘めていると思う。



しかしこの最も本能的な欲求には羞恥心という壁がともなう。食べることは恥ずかしくない。眠ることも恥ずかしくない。メイクラブすることも恋人とならうれしいだろう(人前でするかはまた別として)。ただ排泄行為だけは、決して他人に覗かれたくない行為として、多くの現代日本人に意識されているのではなかろうか。



排泄行為とは羞恥心、言い換えれば理性という名の精神の外壁を個室に変えて究極の不可侵的個人空間を作り出して行う、人間の野性的側面と文明的側面が隣り合わせになた行為ではなかろうか。



思えば江戸、あるいは田舎なら明治くらいまでは、性別問わず草むらでちょいと何するなんていうのは当たり前の光景であったと思う。

しかし平成、このコンクリートジャングル(例えるならばアルタ前)で白昼堂々、人間の本能性の開放を叫びつつ排泄行為に至るとする。それは寛容に受け取れば、理性という法のしがらみから抜け出せない現代への小さなテロと呼べないこともないが、一般的見解からすれば単なる狂人(あるいは、マッド・スカトロジスト)としてしか受け取られないだろう。



本当に理性から抜け出し、本能に触れたい人は、絶対に世間に知れないよう同志を集め、人間の最高位欲求を互いに見せ合うことで、一人の人間としての自分という、得体の知れない生き物を自制する喜びを得るそうだ。

だから、天才には変態が多いとかry



決して僕がスカトロ好きとか擁護するというわけではなく(リアル弁明)、先入観や理性など、知らぬ内に自分にかかったバイアスを外す術を覚えれば、排便行為だけでなく人間のあらゆる行為と精神のつながりが見える、そんな気がしてくる。

と、サド先生あるいは澁澤龍彦に教えられた気がするんだな最近。



さて、そろそろ「がまん」が切れてターンが回ってくる。2倍の本能の激流を解き放つのも後一分の辛抱だZE☆