新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

至らぬ担い手

僕が選んだ今を生きたい、それだけ〜



久々に覗いたとてつもない青空を窓から見上げながら、とてつもなく退屈な授業中に綴ってみる。



さて、世間的に、組織で中核を担う人間には2種類いるそうだ。

一つ目は誰かに認められるために、何かを為そうとする人間。

二つ目は何かを為さねばならないことがあって、結果的に周囲から認められる人間。

可能性を秘めた後者は、滅多に存在するものではないが。

まあ、どちらに優劣を認めるでもなく、あくまで一つの仮説として。



前者は周囲の評価が前提としてあるため、大事な局面で判断が鈍る。対して後者は、目標がつねに前方に設定されているため、目先の情に流されすぎて必要な決断をためらうことがない。



例えば小泉元首相の生き方は後者になぞらえられるのではなかろうか?彼の生き方、振る舞いからはなにか他の政治家とは違うベクトルの使命感が感じられた。だから我が道を行き、在任中は様々な評価を浴びながらも、毎日報道されていた経済停滞の話題を新聞やTVニュースから払拭したという点では、彼の政治は結果的に評価に値するのではないだろうか?



安倍元首相はどうだったか?どちらかというと前者に区分される人間だったのではないだろうか?美しい国構想が彼の夢想に終わってしまった今、その美しい国とは前者の人間が掲げる曖昧な目標であったような気がする。

まあ政治の話はいい。あくまで人間の在り方の話がしたい。



かつて中高を共に過ごした友人の中に、後者に属する人間がいた。彼は自分の目標を冷静に前に置き、それを最短距離でクリアしていくタイプで、学校全体に波を起こす力を持っていた。そして彼は最短距離で駒場の学府に進学していった。



僕はどちらかというと前者に組する人間だ。中学入学以来、決定力の無さを暗示するうちそれが染み付いてしまい、担ぎ上げられればその演台に無知なままちょこんと乗っかり、不格好になんとか演説する。そんな風に歩みをすすめてきた。

彼の乗る演台は自ら設定した固いものであり、僕の乗る演台は空席なままなおざりにされた不安定なものだった。「誰でもいい」でなく「お前じゃないとダメだ」と思われたかったのかもしれない。

演説は軸がぶれていた。



大学生活も半分を折り返しにかかる今、僕は彼のようになりたい。選んだ道は僕の道。そう強く思うにはまだ僕は弱すぎるが、そうなりたい。

意志は忘れまじ