新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

試行

何か自己満な文章を書きたい!!カキタレ!そう思った廃人は今日音楽を聞きながら電車に乗っていて思いました



もう、手っ取り早く書きたいなら音楽聞いて生まれた気持ちからでも、短編書いてみたらええやん



と。一からプロットを立てる根性もなく(実際そんな構想力もないし)イマジネーションにも欠ける自分にはピッタリではないかと!!

いささか二次創作にふける方々にも似た発想ではあるけれども、なんか楽しそうなのでやってみよう。

音楽の主人公に自分を仮託する、いささか日記とは趣旨がずれているけれども、僕の無法地帯なので何やってもよかろうと。新聞の編集で昨夜は漫画喫茶にこもって疲れたんですが、まあそんな行為になにかしらの勝手なウキウキを覚えて帰宅したわけです





そんなこんなでとりあえず書きたいと思ったのが、ザ・バックホーンの「空、星、海の夜」で。











目が覚めると部屋の時計は午前4時を回っていた。自分でも気づかないうちに眠ってしまっていたようだ。

つけっぱなしにしていたパソコンの画面では最後に見た動画サイトのくだらない動画がリピート再生されている。パソコンの電源を落とし、部屋の電気を消して床についた。

夜明けの寒々とした空気に僕は身震いした。



最近こんな日々が続いている。



僕は都内の大学に通う大学生。つい先週で21歳になった。成績は目も当てられないし、特技もなければ、これといって特徴もない男だ。もちろん彼女もいない。

華のキャンパスライフ、と憧れて入学してから3年目の春が訪れようとしている。しかし、かつて「自由を謳歌しつくしてやろう」「やれることはなんでもやってやろう」と野心を胸にたたえてメインストリートを歩いた僕は遥か彼方に消え、今や「生きるモットー=諦め」「単位をとって、卒業できればいいや、大学生活に多くは望まないさ」とでもいわんばかりのニヒルな豆腐のような人間になってしまっていた。





そして翌日。新宿でバイトを終えた後、12時過ぎまでゲームセンターで時を浪費した。



毒々しく輝くネオン街を抜けて駅にたどり着き、酒臭いサラリーマンを満載した各駅停車に揺られながら僕は心を殺す。

多分、望もうと望むまいと、こうやって都会の心地よい、狂気にも似た倦怠感に蝕まれながら人は歳を重ねていくんだ。全てに慣れて受け入れて、くすぶる心をごまかしてみんな生きてるんだろう?僕もきっとそうやって日々を、時を越えて老いていくんだろう。



地元の駅を降りてそばを食べ、家路についてからも僕はそんなことを考えながら悶々としており、まっすぐ家に帰る気持ちにもなれなかったので、近所の公園のブランコに腰掛けながら桜を眺めることにした。





覇気のない街灯の弱い光が、透き通るように艶やかで白いその姿を映し出し、刹那の盛り故ともいうべき輝きが僕の心を癒した。満開の花を咲かせながらも、決して主張し過ぎないその桜の木は、東京の夜空の下、ブランコで揺れる僕を見下ろしていた。



世界にはこんなにも美しいものがある。でも美しいものは全て儚く散ってしまう・・・



そんな思いが脳のしわをよぎった直後、僕は桜の木の向こう側を見た。そこには曇りない一面の夜空が広がり、星が鈍く瞬いていた。



天文台で星を見てきた、という友人が

「星の光は何百年も何千年もかけて、地球に届くわけだから、私たちはその昔の輝きを見て美しさに感動したり、新星を発見したりしているんだよね。そういうのって、素敵じゃない?」

と目を輝かせていたのを思い出す。



冬の射るような寒さをほんの少しだけ残した空気を素肌で感じ、満天とはいかないまでも濁った都会の空に何千年か前に発せられた光を宿す星たちを見ていると、もがくこともせずに、小さな人間の世界で諦めを覚え、ネガティブになっていた自分の卑小さが急に虚しくなった。



美しいものを求める気持ち、理想を求める心を完全に失ってしまえば、時代を越えるあの星々のようには輝けない。



歳を重ねることで「慣れて」いく人生でも、決して忘れてはいけない気持ちや理想がある。それだけは確かなようだ。

























・・・書き終えて気づいた。「海」の部分の記述がねえ!!でもそれ入れたらもっと長編になりそうだからいいや。海で星を見るシナリオにしたかったかも。







でもまあそれにしても



うわっ

くさっ

はずっ

















・・・でもなんか、書くオナニーっぽくていいかもww