新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

頑張っても報われない、というのはあながちウソとも言い切れない

正直者がバカを見る、とか、努力が報われない世の中だ、とか聞くことがある。

確かにそういうこと、実際、あると、思います。



でもそういった嘆きに対して切り込む意見を目にした。

ドラクエに例えた話である。









報われない努力というのは大抵の場合、その時点での課題に対する焦点のずれた無駄な努力、もしくは到底不足している努力であることが多い。

例えば、ドラクエの戦闘で、「どく」状態で苦しんでいる仲間に対してやくそうを投与、もしくはホイミを唱え続ける場合。当然ながら仲間が求めているのはどくけしそう、もしくはキアリーであり、「どく」が治ることはない。つまり「どく」を治すという本来の目的に焦点がずれた努力であるということだ。

また、ラスボスとの戦いでイオナズンを受けて自分や仲間が瀕死の時、仲間の賢者がホイミを唱え続ける場合。次の一撃で倒れる仲間が求めるのはベホマベホマズンクラスの気合の入った回復魔法であり、ホイミなんて焼け石に水。これが不足している努力だ。









この指摘はまあ要するに、同じ手間暇をかける努力にしても、その仕方の工夫次第、というところを主張したいのだろうと思う。

まあゲームと現実で決定的に違うポイントは、「課題」を洗い出すところから意識してやっていかないといけない、というところ。



ゲームのステータス画面のように「どく」とか「まひ」とか出れば、それに対する対処は簡単に取ることができる。

しかし現実では、人間関係でも多分仕事でも、本当に重要な問題はきっとそう簡単に見つからないはずだ。だからきっと、知らず知らずのうちにどくけしそうとやくそうの使いどころを間違えていたり、ベホマが必要な時にホイミを唱えてしまったりしているのだろう。これは誰にでもある間違いだと思う。







だが重要なのはそこで自分が間違っていることに気づくことができるかどうか。そしてその間違いを糧にしてその向こうの段階に進めるかどうかだ。

間違った努力、対処をすれば結果は好転しない、もしくは悪化するかもしれない。その結果から根幹にある問題を見つけ出し、舵を切ることができるか。

また、次に同じケースに遭遇した時に前回の失敗を思い出して適切な対応ができるか。未知のケースでも今までの経験則をミックスして、ぶつかっていくトライができるか。こういったところだろうか。







ちなみに、この冒頭の話の前提には「根性」が必要である。努力が報われないからしなくていい、というのは間違いだ。努力は大切だ。

ドラクエに例えれば戦闘に向かう気力、ラスボスまでたどりつく気合がなくては始まらないということだ。



まずぶつかることに加え、問題を見つけ出し、そして新しい工夫をしてなんとか解決にもっていこうとするだけの心と体の基礎体力。これが無くては何も始まらない。



そしてそれを積み重ねて、適切な場所に適切なだけ自分の努力を注ぐことができる判断力を磨いていけば、どんな時代でもそれなりに生きてはいけるのだろう。

しかし長い波乱万丈の人生、もちろん時には、運やめぐり合わせで転落の途を辿ることもあるかもしれない。しかしそれさえ一つの経験として人生の一つの「アビリティ」「わざ」にできれば、なんとか活路は見出せるはず、というのは甘い見解だろうか・・・。