新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

雑感

「人間という仕事を与えられてどれくらいだ?ふさわしいだけの給料 貰った気は少しもしない」

BUMP OF CHICKENのギルドという曲にこんな歌詞があり、ドキっとした。

最近いろんな友人から、生きるのに疲れた、という言葉をよく耳にする。毎日毎日勉強しろと尻を叩かれ、興味を持てない数学という巨大な壁が立ちはだかる生活、ほとんどが野球に費やされる17の日々。人間関係の軋轢。しかも男子校(笑)

これらを悲観的に眺めると、そんな言葉が漏れるのも無理はない。というか、僕も時々漏らす。

そこで大事なのは、とらえかたの転換だろうと思う。生活がマンネリ化すると誰でも生きる目的を見失う。

人間として生きるということは与えられたもののように見えるが、精子だった僕らが勝ち取った貴重な権利だ。

レベルの高い内容を優遇された環境で、優秀な友人達と学ぶ権利。これも元を辿れば入試という関門をくぐり抜けて望んで得たものだ。

野球に費やされれる毎日。これも練習が続く時うだうだ漏らす文句だが、実際2週間野球を離れると、もうボールを握りたくてうずうずする。本来自分が望んで続けていることだし。部活は、確かに自由に遊ぶ時間を拘束するが、それを通じて得る自信や友人は本当にかけがえのないものになる。

女の子と遊べないなんてのは無い物ねだりに過ぎないのだろう(と言い聞かせても胸の焔はくすぶるばかり)

そして、ふさわしいだけの給料、すなわち幸福は貰うものではない。生きていく中でひとつづつ様々な権利を勝ち取っていくことが、本当の幸福につながると思う。大金持ちになることは世間一般の人の夢のうちのひとつだと思うが、大金持ちの息子は金よりむしろ名声を望むだろう。

最初から与えられたものでは人は満足できなくなる。つねに向上心を持って努力し、幸せになりたいものだ。

なんて偉そうなこと言ってすんません。あくまでも雑感なんで…許して(笑)