10年目
1月17日5時46分…10年前のこの時、関西地方のあの地を激震が襲った。その瞬間、大地の突き上げが僕を眠りの世界から引きずり戻した。
最初、明らかにこれは夢だと思った。立ち上がろうとした。しかし2足で立てる揺れではなかった。その間、人は四つん這いになることしかできなかった。
揺れが止まり、何やら大変なことになったのはわかったが7歳の僕には考える余裕などなかった。
しかし親に連れられ、100人の泥棒が荒らし回ったような家の中をなんとか歩き、ドアを開けると、そこには地獄絵図が広がっていた。鉄筋コンクリートの僕の社宅は目に見える損壊がなかったものの、周囲の木造住宅は例外なく崩れ落ち、目の前でおばあさんが「おじいさん、おじいさん!誰か男の人来て下さい!」と悲痛な声を上げていた。東の空はよどんだ雲に覆われ、空からは真っ暗な灰がパラパラと降り注いでいた(僕が住んでいたのは神戸の海岸沿いの西の地区、須磨区だった。この時の灰は隣の区で甚大な火災の被害によって焼け野原になってしまった長田区から発生したものだと思う)
その日は何もわからぬまま過ぎ、ライフラインが寸断され完全に夜の闇に支配された家の中で、各地の被害を知らせるラジオを聞きながら、僕は余震に怯えていた。
その日からすべてが変わった。学校は2つの意味で無くなり、子供の僕達はひたすら給水車を待ち、炊き出しを待ち、倒壊した家屋を眺めるばかりだった。後日知ったがその間父は人命救助をしていたらしい。その時自分に今の力があったら…と心から悔やむ。
語り尽くせない毎日が続いたが、しばらくして仮設学校、仮設風呂など仮設施設がどんどん完成し、クラスが減った学校が始まった時は本当にうれしかった。そして各地から学校に送られてくる救援物資、手紙の全てが嬉しかった。震災後ある小学校の教師が作詩作曲した歌がある。神戸の小学校、街中にその歌は広がり、10年が経つ今も歌い継がれているという。
「しあわせはこべるように」
地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を元の姿に戻そう
支え合う心と明日への
希望を胸に
響き渡れ僕たちの歌
生まれ変わる神戸の街に
とどけたい私たちの歌
しあわせはこべるように
地震にも負けない
強い絆を作り
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう
傷ついた神戸を
元の姿に戻そう
優しい春の光のような
希望を胸に
響き渡れ僕たちの歌
生まれ変わる神戸の街に
とどけたい私たちの歌
しあわせはこべるように
ずいぶん歌っていないから多少歌詞は間違っているかもしれないが、僕は当時この歌を本当に一生懸命に歌ったし、メロディーを忘れることはないだろう。
そして神戸は「がんばろうコウベ」をスローガンに、全国の人々に支えられ、目に見える被害はほとんど無くなるところまで復興した。また人口も観光客数も震災前の状態に回復した。
被災者の中には震災は過去のこととして忘れたい人もいるだろう。ましてや震災を経験しなかった人は意識せずとも忘れてしまうだろう。
しかし東京では近い将来、大地震が起こる可能性があるとテレビでは警告している。もちろん、大パニックを避けるため、「確実に明日地震が起こります」と放送するはずもないがこれだけ新聞やテレビで取り上げられるのを見るとかなりそれに近いデータが裏で出ているのではないかと不安になってしまう。今一度、備えを確認したほうがいいのではないだろうか?
震災で亡くなった方々のご冥福を一人でも多くの人が祈ってくれますように