新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

テスト期間中のぼやき

昨日、倫理の授業が終わった(高二の授業が全部終わった)

倫理の先生はかなり熱情的な人で、教科書に限らず、エンターテイメントを含む非常に広範囲から教材を作ってくれて、学校の授業で体育の次に倫理が好きになったくらいだった。

あれくらいラフな感じで教えてくれなかったら、教科書の思想なんてなかなか頭に入らなかっただろうと思う。

最後に先生は、「構造を知って欲しい」という話をしてくれた。

この世界はどうあがこうと全てが構造から成り立っている。自分のおかれている世界の構造、自分の内面の構造など、全てに興味を持ち、理解して欲しい、みたいな感じだった(違うか?多分こんな感じだ)

僕がこの倫理から学んだことは、「繋ぐ」ということだ。

まず、思索を繋ぐこと。僕は基本的に思想が好きだ。思想、宗教というと世間的に危険視されていたり、「あいつは共産主義者だから理想しか喋れない」とか一方的な解釈で思考を停止しがちな傾向がある。「だけど、全てにおいて完璧な思想、宗教なんてものは無く、それを探し続けるのがこれから倫理のありかただ(?)」という先生の主張は、固めだった僕の頭を少しばかり柔らかくしてくれた気がする。

しかし、完璧では無いにしろ思想や宗教は人間の理想のありかたを考える過程で生まれた命題の一つなわけで、しかも多くの人を虜にするだけあってそれなりの深さを持っている。深さを知っておくことと深みにはまることは違うと思うし。

僕はキリスト教系の幼稚園通っていたので、賛美歌を歌ったり礼拝をするイベントがあった。しかし何故そんなことをするのかわからない上、神様なんて毛ほども信じていなかった僕はかたくなにこれをボイコットし続けた。(ちなみに母親に聞くと、幼少時の僕は周りからはかなり浮いた存在で、天上天下唯我独尊的でいやなヤツだったらしい。それに加えて本オタクで、幼稚園では本を読みまくる、いわゆるキモい奴だったらしい。まあそれが神戸に引っ越し小学校に通い、「標準語喋る生意気で変な奴」としてはぶられ叩かれ、ようやく世渡り術を身につけるわけだけど)

つまり理由なしに押し付けられる神様が理解できなかったわけ。しかし神戸に引っ越し、家族旅行で頻繁に奈良京都の寺社仏閣を訪れるようになり、僕は小さいながらに奈良の大仏に圧倒され、広隆寺弥勒菩薩像(日本の国宝第一号)に不思議な魅力を感じ、このわけのわからない宗教というものに心惹かれる人が世界にはたくさんいるんだなあ…と漠然と宗教の存在を肯定し始める。

この、全否定から漠然とした存在の肯定に至る経緯が僕の宗教に関する原風景だと思う。

やがて中学に入学し、自由を獲得した僕はその原風景を甦らせてしまうモノに出会う。それが「新世紀エヴァンゲリオン」だった。

おいおいガンダムにつづきまたオタクネタかよ…と思う前にちょっとこっちの意見も聞いてくれ。

まあこの作品は日本の思春期の若者の心の弱いところ(人とわかりあえない、どうしても傷つけてしまう、成長していく自分の体と心のバランスがとれないetc…)を上手にくすぐり、一時、日本を巻き込んだ(いまだに巻き込まれているオタク連中は作品じゃなくてキャラクターに巻き込まれているのだ笑)。これほどまでに人々を虜にした原因は宗教的部分の謎解きの面白さにある、と僕は経験を通して思っている。このアニメは上手にキリスト教用語を折り込みながら謎が謎を呼ぶように作られている。また見る人が不慣れな宗教用語に触れると知的好奇心が刺激され、適度な自己陶酔に浸る。

確かにエヴァにはまると廃人化するまではまる。それは経験不足の若者の中でエヴァ自身が宗教化するからだ。基本的に現代の日本人は無宗教だ。よって絶対的な心のよりどころをつねにもとめている。それがエヴァになってしまうのだ。

これは一つのケースでアニメだからまだよかったもののオウム思想やらなんやらが自分の中で宗教化してしまった場合は洗脳になってしまう。一つにはまるということは怖いことなんじゃないのか…??

そんなことを思ううちに、キリスト教を真面目に知っておきたい、と思い図書館でキリスト教関係の資料を漁る。

変な動機ではあるがこうしてキリスト教を斜め読みした僕は奈良京都の仏像達を思い出し、仏教思想に足を突っ込む。

それを浅く学ぶと、漫画、3×3アイズ(後半はほとんど関係ねえよ笑)の影響でチベット密教に足を突っ込む。

さらには遠藤周作の深い河をよんで多神教ヒンドゥー教の不思議や、東洋道徳と西洋道徳(?)の違いに興味を持つ。

そんなこんなで高一までに積んだわけのわからん知識が、倫理の授業という形で説明されることで頭の中で再確認されてきて、あの思想とこの思想とが似てるな〜、という風に繋がってとても楽しかった。なかながしく説明したけどまあこれが僕の中では「思索を繋ぐ」っていう行為。

もう一つの「繋ぐ」は「現実と繋ぐ」っていうこと。これは簡単で、現実で起きている事件(些細な芸能ニュースから社会現象、世界的な問題まで)と思想の繋がりを先生が説明してくれたおかげで、自分でも少しずつ繋がりを読むことができるようになってきたっていう話。

まあそんなこんなで倫理はとても有意義な授業だったな〜

というわけでした