新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

敗れざる者達



怒涛の連続更新中であります!(笑)毎日書いてるとみなさんからいろんなコメントがもらえて楽しいね♪まあ日記っていうのは本来毎日書くものなんだけどさ、やっぱり自分の満足できる内容のもの(?)を書かないと嫌なんだよね。「今日はラーメン食べました。おいしかったです」みたいな小学生の絵日記みたいなのは納得できないわけよ。だから毎日更新できなくても許してね(笑)

さてさて、今日部屋を漁っていたら忘れかけていた本が見つかった。沢木耕太郎「敗れざる者達」…Kよ、ついにこの本のページをめくる日がやってきたぞ(笑)

沢木耕太郎…当代きってのノンフィクション作家、ルポライターである。僕が最初に触れた彼の作品は「深夜特急」。アジアからイギリスまでを飛行機をほとんど使わずに旅行し、なおかつ現地の人々の生活を追体験していく大旅行。正直かなりすごい。一人で海外に行く日本人が日本に何人いるだろうか。まして日本語が通じず、日本とかけはなれた生活環境に敢えて飛び込む日本人は何人いるだろうか。

しかし多くの日本人が尻込みする場面でも、好奇心という一本の槍を腹にくくって飛び込む人は確かにいる。それが沢木サンである。

彼の本職はルポライター。人と出会い、その姿を彼なりの視点で分析して文字にする仕事だ。有名人やスポーツ選手らの人生の輝きを生で見て、彼らの人生のポリシーまで掘り下げて書いている分、沢木耕太郎はより密度の濃い人生を送っているといえるのではないか。それが彼の持つ懐の深さ…いい意味での余裕に繋がっている気がする。

さて、この「敗れざる者たち」は一度栄光を手にしたものの、人生の荒波に揉まれて消えたり、細く細く生きることにスポーツ選手達の姿を描いている。

抜群のボクシングセンスを持ちながら生来の優しさを殺せず、チャンピオンに届かず、燃え尽きることのできない人生を送り続けるカシアス内藤

日本大学野球の雄から巨人の、球界の背番号3になった長島茂雄。しかし奇しくも長島と同じチームの、同じポジションであったがためにやむを得ず才能を開花させることなく散っていった選手達。

そしてオリンピックマラソンで栄冠を手にしながらも、あまりにも細く繊細な神経を持ち合わせたが故に一直線に自ら散った円谷幸吉

不屈の努力家でバッティングを一つの道として自分の中に確立したが、そのあまりにストイックな態度と寡黙な性格から、静かに球界から消えた、いや消された榎本喜八

そしてこの本の中で唯一、自分の中のボクシングに最高の答えを出し、真っ白に燃え尽きることのできた輪島功一

この本に出てくるスポーツ選手は大きく2分される。



一つは円谷幸吉タイプ。正直で、上の立場の人間の言葉に素直に従う。しかし本人の神経は24時間ピンと張った細い糸のように張り詰めている。その極度の緊張感が彼をマラソンの世界で上へとひたすら押し上げる。彼の人生には本当にマラソンしかなかった。しかし彼にかかる負担が限界を超えた時、その糸は一瞬で切れてしまう。それが彼の場合自殺だった。榎本喜八も同じタイプである。バッティングの天才故に狂気と隣り合わせ。チームの責任、球団オーナーの思惑などが彼に降り懸かった時、榎本の精神は錯乱するのだ。彼の人生もまた、野球しかなかった。このような人々は昭和という時代でこそ生まれたといえる。

そしてもうひとつは、燃え尽きことができない選手達。これは選手だけでなく、沢木耕太郎自身と、その世代にも大きく関係する。その世代なら

「真っ白に燃え尽きる」

この言葉を聞くと、グローブをつけ、うつむいて椅子に座ったまま決して動くことのないジョーの姿が脳裏に浮かぶはずだ。学生運動、ラブ&ピース。されどふりきれない憂鬱と胸の中のもやもや。そんな世代に対しジョーは、ボクシングという世界で見事真っ白に燃え尽きてみせた。

彼の姿は学生運動家達の中でも、前衛演劇などでもジョーは目標とされた。しかし真っ白に燃え尽きることのできた人間はほとんどいなかった。

ちなみに、本の表紙の折り込みを見たら、村上春樹沢木耕太郎は2つ違いだった。なんとなく同じ匂いが漂うのも納得なのだ。

俺はこんなもんじゃない」「まだブンブン吹っ飛ぶわけにはいかないんだ」

…じゃいつぶっ飛ぶんだい??と聞いてもいつまでも燃え尽きることのなかったカシアス内藤

スポーツに見られる時の運。それでも選手はそれに抗い、自分の中で一つの答えを出さなくてはならない。

この本の中で唯一その答えを出したのが輪島功一。一度KOされチャンピオンベルトを奪われた相手に、再び挑む32歳の輪島には世間の遠慮なき辛辣な批評が降り懸かった。しかしそれを逆手にとり、わざと不調を装い、相手を油断させる輪島。しかしその行為は相手だけでなく、自分の不安な気持ちをも欺くためのものでもあった。全盛期とのギャップや相手の強さからくる気持ちに対して、「リングに上がればとたんに体は動き始める」と欺くこと、突き詰めれば自分を信じることで、彼は圧倒的不利と思われていた試合をゴングが鳴ると同時に手中にし、自分として最高のボクシングをしてチャンピオンを奪回するのだった。

自分をどこまで欺けるか…この問いは凡人の僕らにとって一つの希望のライムになりうるものだ。

僕らは円谷や榎本のように直線に生きることはできない。誘惑に負け、本質的には自分の感情をコントロールすることのできない人間だ。

そんな僕らにもいつかやってやる!という意地はある。しかし、あすには檜になろうと思っていても結局はいつまでも檜になれないあすなろの木のように(井上靖あすなろ物語」より。これも名作!! 読むべし!!)くすぶり続けているのが事実。

それでも、自分のマイナス感情を欺く=自分の良い面を信じ、いつか自分の人生の大事な曲面で、心の奥のもやもやに強烈な右フックを叩き込むことができた時、平成に生きる僕らなりに、真っ白に燃え尽きることができるんじゃないだろうか。

と、まとまっているのかいないのかわからないが本日はこれまで…