新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

残酷な天使のテーゼ♪



残酷な天使のように少年よ神話にな〜れ〜♪

オタクでなくとも耳にしたことがあるであろうこの曲。いわずと知れた新世紀エヴァンゲリオンの主題歌である。

この曲が少しでも聞こえてくると、全てをエヴァに費やした僕の危ない15歳の冬がむっくりと鎌首をもたげて僕に襲い掛かるのである。

しかし今日…なぜかこの曲がパチンコ屋から聞こえてきたのだ…どうやらスロットマシンにEVAのタイプがあるらしく、店内から僕の脳みそを刺激する………………………………………………………………

パルス逆流!安井暴走!!となってしまうのだ。

残酷な天使…天使とは慈悲深い存在ではなく、死の天使、恐怖の天使、復讐の天使など多数存在する。その中でも神話になった天使として、光の天使ルシファーが挙げられる。

ルシファーは第一位の輝かしい天使だったが、神の玉座を望み反乱を起こし、大天使ミカエルに破れ天から投げ落とされ、堕天使となった。この反乱が起きたのは旧約聖書の創世記における2日目。神が大空を作り天と地を分けた日だ。

ルシファーはサタンすなわち悪魔と交換可能である場合が多く、地獄に落ちたルシファーは神が作り、慈しんでいた人間をおとしめることで神を愚弄しようと思い付いた。

そして混沌を抜けエデンの園に忍び込み、眠る蛇の中に侵入し、アダムの伴侶であるエヴァを誘惑して、禁断の果実である善悪の木の実を食べてさせてしまう。

すると二人は恥じらいを覚え急に股間を隠したりするわけなのだが、神は二人がもう一つの禁断の実である生命の木の実をも食べることを恐れ、楽園を追放するのだ。

人間にとってルシファーと堕天使であり悪魔なのだ。

だがそれと同時に人間は神の庇護を失い、新しい世界で進化してきた。人間は科学という力を手に入れ、2005年の今、バイオテクノロジーという名の生命の木の実を食べようとしている。

一方で、世界には憎しみや争いが絶えず、豊かな日本人でさえ幸せを実感している人はごくわずか。形は違えどみな今の自らの世界の打開、人類の救済を求めている。救済神話はエヴァ本編で語られる人類補完計画に対応している。人類世界を打開するということは人類を位相の世界へ導くということ。すなわちルシファーが人間の境遇を180度転換させたことを神話と呼ぶなら、「残酷な天使、ルシファーのように碇シンジよ、人類を新たな世界へ導いてくれ」と翻訳可能ということだ……………………………………………………………………………パルス正常に戻りました…プラグ排出します…ぷしゅ〜

ようやく脳みそのほとぼりが覚めたようだ。この曲を一曲宗教的観念から翻訳しようとすると大変なことになる。ましてや謎だらけな作品全体の解釈をするとなるとそりゃもう…というわけだがそれは知的好奇心を刺激するおおいなる自己満に過ぎない。

なぜか?この作品にはまってしまうこと自体が、製作者の思うつぼなのだ。

監督である庵野秀明は後日「エヴァはあれはもう大きな言葉遊びなんです。あの謎だらけの作品をきっかけに自分捜しをしたり、謎解きにはまったりできる作品なんです。その中において、最終的に少年少女に君はここにいていいんだ、的なメッセージを送りたかったんです」(うろ覚えなんで真のマニアに追求されると間違いがあるかも)みたいなエヴァ評をかたっている。

まあこの作品のおかげでキルケゴールの「死に至る病」を知り、(16話タイトル、「死に至る病、そして」より)実存主義に首を突っ込んだり、ハリネズミのジレンマ、と聞いてナットクしたり、聖書をかじったりと見聞は広まったのでよしとしよう。

それでも不意に僕の脳みそを揺さぶるのはやめてほしいね…リリス

画像について。エヴァテレビ版最終話、世界の中心でアイを叫んだけもの。

大ヒット小説、映画、ドラマetc、世界の中心で愛を叫ぶ。

むろん後者は前者に影響を受けてできたものです。このアイには愛と同時に英語のI、すなわち私がかけられている。自分の周りの人の愛を自覚した時、自己存在の意義に悩む思春期の少年は、「僕はここにいてもいいんだ!」と自らを叫ぶ。

エヴァのタイトルはSF作家、ハーラン・エリスンが書いた「世界の中心で愛を叫んだけもの」が題材であり、セカチューがこのタイトルの意味を再び一元に戻したというおもしろい偶然?あるいは作為。

また、エヴァに登場する人物、鈴原トウジ相田ケンスケ洞木ヒカリなどの名前は、村上龍の小説「愛と幻想のファシズム」からとられたもの。両者の関係はよくつかめないが。村上龍はエロエロなのが多いけど、この小説はなかなか読みごたえあり。読書好きなら是非ご一読あれ〜