新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

メメント・モリ

死を想え。です。高校倫理とかで一度は目にした言葉かも。

なんでこんなこと書き始めるのかわかんないけど衝動的に書きますわ。インパルス。

「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻のごとくなり 一度生をうけ 滅せぬもののあるべきか」

かの織田信長が、桶狭間の戦いの前に舞ったとされる舞い。能かなにかだろうか?

たしかタイトルは「敦盛」。敦盛は平家物語の有名な一節に出てくる平敦盛のこと。あの平清盛のおいで、一ノ谷の合戦で、弱冠16歳の敦盛は、源氏方の猛将熊谷直実とまみえるが、あっという間に組み伏せられてしまう。

まだあまりに若い敦盛を見て、息子のいた直実はいたたまれなくなって敦盛を逃がそうとする。しかし当の敦盛は首をとって手柄にせよ、と自分の死を受け入れ直実に迫る。やがて味方の足音が近づき、他人の手にかかるならと直実はついに敦盛の首をとる。なにか身柄を証明するものはないかと敦盛が身につけていた笛をもって陣に戻ると、自分が討ち取ったのが平敦盛だとわかるが、直実は手柄を焦って年若い少年を討ってしまったことに世の無常を感じ、出家して敦盛を弔ったという。

この笛は昔僕が住んでいた神戸市須磨区須磨寺にある。寺にはこのエピソードを題材にした人形小屋があったりしてよく覚えている。信長の舞った「敦盛」と平家物語のエピソードは死を前にした覚悟という点でつながっているのだと思う。

信長は圧倒的戦力差のある今川軍を前にして、死を覚悟していたのかもしれない。

人は死を想うときどう動くのか。

人間いつかは塵芥になって土に返る。そのことは誰しもわかることだ。

ならば自分がどう死ぬのか。そんな逆算の人生設計も有りなんじゃないか?まだ若い僕は明日があると当然思っているけど、その明日に大地震がきて死ぬかもしれない。そうでなくともあと60年もすれば平均年齢を考えると僕は死ぬ。もし重くなったまぶたが閉じられるとき、生きてきてよかった、と思える人生を僕は日々重ねているのか?もしくはこれから重ねていくことができるのか。

60年後、一人高齢者の分譲マンションで動かなくなるのか、それとも家族に囲まれて息を引き取るのか、先のことはわからない。

ただ、死は確実に人間に生を意識させる。これだけはいえる、と藤田憲一社長のドキュメントを見て思った。

死の前に自分の人生に納得して、覚悟できるようになりたいと思う。

今は亡き先祖も見上げた、七夕の真っ暗な夜空を見て死を想った廃人でした