新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

喪失の時代を幸せに生きるには?

「K澤家のみなさんのおかげでした」。連続覚醒時間が39時間を切りました、やすいです。久しぶりに気のおけない仲間と鋭いネタの応酬を楽しむことができて、リフレッシュできましたなほんと。

さて、がらっと変わるが、道中、この前芥川賞を受賞した伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」を読んだ。脚本家への夢を日々すり減らしながらもアルバイトとして重労働に甘んじ、それと同時に愛を喪失していく主人公を描いていて、現代の生きにくさをテーマとした小説である。恋愛もして、結婚もして、明日の糧に困るわけでもない。衣食住を失うわけではない。しかし互いの自己愛をぶつけ合うことで男女の愛はやがて夫婦を縛る重い鎖となり、結局は足を絡み取られて冷たい泥のなかに沈んでいくことになる。そしてどこかで夢をあきらめつつも、虚無をつかむかのように働き続け、失う痛みに耐えながら生きるという、喪失の現代における若者を表現しようとしていた。まあ各メディアで騒がれる「勝ち組負け組、生きづらい世の中」といった小説であった。

一方で今日はツタヤ半額ということでDVDを借りた。「ALWAYS 三丁目の夕日」、「新世紀エヴァンゲリオン」1,2、ヒッチコックの「鳥」、トルストイ原作「戦争と平和」、「ローゼンメイデン」1。

今日は「ALWAYS 三丁目の夕日」を見たのだが、電車の中で読んだ「八月の路上に捨てる」と対をなすかのごとく時代を浮き彫りにする映画だったと思う。

この映画は昭和33年の東京下町の人々を描いたもので、各界で高い評価を得ただけあり、昔はよかったなあ的な単なる懐古趣味の映画ではなく、非常にわかりやすく、人間の心に染みるメッセージ性を持っている。



「あのころはモノも金もなかったのになんであんなに幸せだったんだろう?それは愛を感じ、自ら与えることにより人は幸福になれるからではないだろうか」



だらしない生活をしていた小説家の青年が、ひょんなことから親のない男の子をあずかることになり、様々な紆余曲折を経ながらも愛する存在をもつ一人の大人の男として成長する流れ、青森から集団就職で体一つで東京にやってきた娘が周囲の暖かい視線に見守られ、そして最終的に自分を思ってくれていた親の愛に気づくことで輝くという流れの2つのストーリー展開からは、上記のようなメッセージが汲み取れると思う。



子供は作らなくて当たり前かもしれない。仕事の上で他人よりぬきんでること、自分で自分を愛しうるだけの地位と存在を勝ち取れるかということが幸せといえるのかもしれない。人間関係も、PCがあれば最低限にできるし、人当たりなんてもはや関係ない時代なのかもしれない。そんな勝ち組建築家の主人公を演じる阿部寛の「結婚できない男」を見て、またその番組に対して「他人のこととは思えない」と反響が巻き起こっているのを見て弱冠そう思う。これが現代だな〜って。

しかしその末に勝ち取った幸せ?の上にある人の目は、希望に輝くというよりも、ギョロっとした、貪欲でありつつも、ぴんと張り詰めた糸のような脆さと危うさの色をしているようでならない。また、小説の主人公のように、冷たい沼から這い上がれない人の目も死んだ魚のようなのかもしれない。



周囲からの親切に応え、また自らも気遣いを忘れない。それがめんどくさくてもメリットと思えなくても、人の気持ちに立って行動してみる。そして愛を示すこと、感じること。正しい教育機関なら小学生の道徳のような内容だけど、その積み重ねがあの映画らしい暖かい幸せ感につながるのではないだろうか?日本人は「互いに分かり合える」と思っている民族だという。そんな日本文明が、個の時代に押しつぶされたら、寒い時代になると思う。