新・時の軌跡~yassuiのブログ~

旅の話、飯の話、リビドーの話。

木乃伊

ミイラと読みます。

今日、たすくが大学でしゃべれる数少ない女の子たちと会った。

想像以上にかわいかった。10万ボルトだった。

そして、ドッペルゲンガーの監督、黒沢清の最新作「LOFT」を見に行った。

正直、見た後は怒涛の混乱に襲われたけど、整理して考えていくうちに多少まとまってきた。でも、難解な映画は女の子と見に行くもんじゃなかったな、と思った。



あらすじ・・・「 スランプに陥り、郊外の一軒家に引っ越してきた女流作家の礼子(中谷美紀)は、人けのない向かいの建物に出入りする男を見かける。男は吉岡誠(豊川悦司)という大学教授で、沼から引き上げた千年前のミイラを無断で運び込んでいた。それ見て以来、礼子は得体の知れない恐怖に襲われるようになり、小説がまったく書けなくなってしまう。」めんどくさかったのでヤフー映画から引用。



勝手な読みだが、今ままで見た3作を通して考えると、この監督は2つの対立した要素をわりとはっきり描く傾向がある気がする。

具体的にいえば、回路では、肉体的感覚を捨てて電脳世界に静かに沈んでいく人々を、ドッペルゲンガーでは理性と本能が同じ肉体に存在する以上、それぞれの存在を認めて付き合って生きていく必要性をテーマにしている。

では、LOFTにおける対立要素とはなにか。一番わかりやすいのは生と死、その中間にある存在としてのミイラである。だけど見終わったあと、この作品のテーマは日常と非日常、現実と虚構のように思えてきた。

礼子は現実的な日常にスランプを感じ、洋館という非日常に飛び込んでから虚構世界である小説が書けなくなる。

そして生活へのミイラの介入、吉岡とのあまりに唐突すぎる恋など、現実と虚構が180度摩り替わったかのような展開が続き、最終的には・・・

うわああああ

とまあ僕の弱い頭じゃ消化しきれませんでしたね。ドッペルゲンガーのようなしたたかなテンポのいい恐怖がある映画だと思ってたんだけど・・・どうも間延びした疑問が残ったままでした。ごめんたすく。繰り返すけど、女の子と見に行く映画は明快なものにしよう。

まあ、カラオケロングランで自分という殻を破る行為をしたし、都庁からの夜景もまあよかったから、とりあえず充実した一日でした。