ドルチェ・ガバ穴
ドルチェ・ガッバーナとかいうブランド名をふと耳にしました。いくら何でも酷すぎると思いませんか。
まあ、さすがイタリア、情熱的だぜ、チョイ悪だぜジローラモ、って感じだけどさ
こんにちは。今日は、いきなりだけど解釈と視点について少し考えたので厨二病の勢いで書き散らしたいと思います。
先日の秋葉原通り魔事件。犯人のバックグラウンドに様々な現代の社会問題が絡んでおり、一つの凄惨な事件以上の扱いを受けることになったのは記憶に新しいことと思う。
派遣で劣悪な環境で働く若年層、ワーキングプア。顕在化した恋愛格差。学歴社会からはじき出されたことの歪み。バランス感覚を失ったオタク。
そのほかにもいくつかあるのだろうか、このような諸問題が噴出し、メディアは各問題の根源を問い、武器の取り締まり程度でお茶を濁した行政を糾弾した。
新聞や週刊誌、ワイドショーでは識者が解釈、解説を行った。メディアは情報を発信する媒体である以上、一つの方向性を持った解釈を伴ってニュースを発信する。
だが1ヶ月後、2ヶ月後。
それらの解釈はなんらかの改善、発展を見せるだろうか。世間での解釈の鵜呑みによる思考停止の果てに残るのは、漠然としたイメージや固定観念だけではないかと思う。派遣はヤバいらしい、モテない奴はしかたない、オタクは犯罪予備軍・・・
問題に直面している当事者を取り巻く状況や苦難はそうそう改善されるものではない。
解釈、視点、定説というものには、状態に対する理解を容易にし、知的好奇心をある程度満足させるという効果がある反面、思考停止という罠が仕掛けられているのではないだろうか。わかったような気になってしまうことほど恐いものはない。
例えばSだとかM、年上好みだとかロリコンだとかいうのも、それぞれの固定観念に基づいた思考停止の一種だ。
ちょっと他人に強気に当たったり口調が強かったらSな人だとか、僕みたいなアホな顔をしてたり、おとなしければMだとか、か弱い女性を好んだり、かなり年下に好きな子がいればロリコンだとか、包容力を求めるから年上好みだとか。
尊敬する、憧れる要素が本当の「好み、タイプ」でその人がたまたま年上だったり年下だったりするんだからなんとも言えないでしょうに。なおざりに決め付けられたキャラが魅力なんじゃない、中身が魅力なんだ。
「やすいさんはMだからSな人がいいんですよね」
とか言ってると楽しいんだろうけどやめて。虚しくなるので。
特にSとかMなんてワード、女王様ならまだしも、そんなに昔から普通の若者の会話に上るもんだったのだろうか?
あげくの果てに「俺Sだから」と言わんばかりに、男が恋人に暴力を振るってガッシボカになり恋人でのDVがニュースになったり、「受け身でいいや」と考えてる女の子が「いや、私Mだからさー」と言って怠惰な
これもまた極端な決め付けではあるが、やたらMを自称する女子は怠惰、Sを自称する男子はただの自己中、ワガママ、そんで意外と甘えん坊の傾向が強い気が。
ソースは、僕だ。
まあSやらMやらに関しては、「キャラクター」を売りにした芸人やタレントが使っているうちに普及してしまったのではないか??とぼんやりと考えたりする。その人が何かを為して二つ名が付くのではなく(例、世界のホームランキング王、巨匠宮崎駿、海賊狩りのゾロ)キャラクターを示す言葉を纏うことが自らを規定する、
そんなエンタの神様的な世界に、今の社会はなりつつある。
時代はわかりやすい「解釈、キャラクター」を求める。
気付けば誰もがそこに自分を当てはめ、そこに嵌まって動けなくなる。みんないろいろなことがわかった気になって思考をとめる。みんな「決まった」気になっているからなんとなく物を言い出すことが出来ない、声を上げられない。天井が落ちてくるような閉塞感が漂う都会の空。
じゃあ、だからってどうしたらいいんでしょ。正直僕もわかりません。異端な考えなのかもしれません
ここまで勢いよくぶっ放した内容もずれてる、アサッテの方向のものなのかもしれません
ただ長々と書いて匙を投げるのもアレなので、ふと思いついたことを遠慮なく言わせていただくなら
もっと真実と向き合うこと、たくさんの解釈を持つことが大事
とか?浅はかなことにここまできてニーチェのパクりだけど。テレビの識者の解釈なのか、ネットの誰かが垂れ流していた解釈なのか、友人の解釈なのか、自分が事実と向き合って納得して出した解釈なのか。それらを統合的に判断できるようになった時、諦めや既存の視点を突き破った向こう側が見えてくるのかもしれない。
・・・机上の空論ワロス。
でもまあ、人の気持ちを考えられる人間になりたいね。もう少しラストフレンズとか見て感動できるように。
自分の世界さえも変えてしまえそうな
瞬間はいつもすぐそばに
あ、アメトーク見逃した
DTという固定観念、決め付けで自らを縛る廃人でした