黒い
友人のおさまった棺の置かれた式場では、数々の友人が、ある者は涙を流しながら、ある者は複雑な面持ちで集った。
僕は芭蕉の死に際に床を囲んだ弟子たちを題材にした小説を思いだしていた。
あれほどどろどろとしているものはないにしても、本当に故人を故人として悼むことができる資格がある人は式場の中のほんの少しで、あとは死という事実が照らし出す自分の生を強く意識したり、一般的な人間の死に心を揺さぶられるに過ぎないのではないだろうか。親族と本当に親しい友人以外にとっては、葬儀とはそういうものなのかもしれないが。
通夜後の会食の席でも、本当に故人を偲ぶ会話をするのは別れの言葉を述べた友人数人で、後は同窓会レベルの談義にただただ花が咲くばかり。
もちろん僕も、そういう感じで式に臨み、終えるつもりでいたのかもしれない。もしも、別れの言葉を頼まれることがなかったら。
まだ気持ちの整理がつかないので、今夜はここで切ります